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●人間科学 にんげんかがく

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【系譜】人間行為や人間関係をさまざまな専門科学の協力によって総合的・実証的に研究しようとする立場の学問を人間科学という。それは理念において一つの総合的学問であるが,現実には,この立場に立つ複数の科学をさすものである。

“人間とは何か”という命題は,人類の歴史とともに古くまたそれはつねに新しい人間探究の問題をはらんでいた。最初は,宗教や哲学の立場から扱われた。その代表として,2,000年前のプラトン(前427〜前347)やアリストテレス(前384〜前322)をあげることができ,現在の人間科学の源流である。他方“人間とは何か”の命題は,古くから医療のなかで取り上げられてきた。人間が生命ある存在である以上,病にかかり病み苦しみ悩む。これらを“癒す技術”としての医療は,メソポタミア・エジプト・インドや中国における古代文明の形成とともに形づくられ発達してきたのである。その歴史はきわめて長い。医療に,実証的な立場をもちこんだのは,ヒポクラテス(前460〜前375)であり,そこから自然科学としての医学が芽ばえたといわれている。だが医療が自然科学へと発達するのは16世紀に入ってからでる。すなわちヴェサリウス(1514〜69)の人体構造論とハーヴィ(1578〜1657)の血液循環論の登場である。また同じころ,デカルト(1596〜1650)が人間を機械論的にみる立場を体系づけ,人間の人文学的探究を大きく推しすすめる端緒を開いたことも注目される。

 その後“人間とは何か”という命題を自然科学のなかでより確かなものとしたのは生物学である。それは人間を哺乳動物の“ヒト”に位置づけ,“ヒト”を文化をもつ哺乳動物・霊長類として分類したのである。こうして“人間生物学”が体系づけられるようになった。ここには,ダーウィン(1809〜82)の進化論・遺伝学の発展などに代表される生物学の力強い発展をみることができる。だが,それは,たかだかこの1世紀のあいだのことである。

 また,18世紀以降,人文学と自然科学の谷間において,“人間とは何か”の問いを追求する学問が新たに登場する。それは,人文学から分化した社会科学である。近代市民社会の理論として最も早いのがロック(1632〜1704)の『統治二論』(1690)であり,さらにヒューム(1711〜76)以下イギリスとフランスの啓蒙主義がいっせいに活動するのは18世紀。ついで19世紀には,サン=シモン(1760〜1825)とコント(1798〜1857)の実証主義が登場する。18世紀を中心として17世紀後半と19世紀の初頭を含む時期が社会科学の確立期であり,その多様な社会理論のなかには,それぞれの人間像が前提とされていたのである。これら社会科学と不即不離の関係で近代的心理学が誕生する。それはヴント(1832〜1920)の実験心理学に始まる。しかし,ヴント心理学の意識主義・要素主義・構成主義的立場は,多くの批判を受けるところとなり,これら批判のなかから,行動主義心理学・精神分析学・ゲシュタルト心理学が生まれるのである。これらの今日の心理学であり,それは客観的に観察可能な人間の行動を研究対象とすべきであるという立場をとっている。

 こうしてみると,文献学的方法による人文学,人間の病を癒すことを使命とした医学,生物としての人間を追求する人間生物学,近代市民社会とともに誕生する社会科学と近代的心理学,これら四つの学問的流れが“人間とは何か”という命題をそれぞれ異なった専門的方法論に立って探究してきたことがわかる。だが20世紀に入るとともに総合化の動きがみられるようになる。

【人間科学の成立】人間科学の誕生はアメリカの人類学者リントン(1893〜1953)が編さんした『世界的危機における人間科学』に求められる。本書は,第二次世界大戦が終わる直前の1944年に出版されここに人間の科学の概念および提唱が初めて示されたのである。その背景には,人類史上最大の人間同士の殺戮(第二次世界大戦)を前にして人間存在とか人間性が根本的に問われるにいたった事情がある。そこでは“全体的”な人間の形而上学的把握に代わる科学的把握が強調されていた。その内容をみると,人類学者・心理学者・社会学者の学際的提携がみられ,たとえばカーディナーの基本的パーソナリティー構造という概念が人間探究のための三つの学問の共有財産として提唱されている。

 このような人間の科学の方向は,ギリンに引き継がれて,その編さんによる『人間科学の展開』(1954)が刊行されるにいたった。そこにギリンをはじめ,人類学者マードック(1897〜)およびハロウェル(1892〜1974),社会心理学者ニューカム(1903〜),社会学者パーソンズ(1902〜79)およびベッカー(1899〜1960)らが参加し,次のような共通テーマを討議している。自然科学が数学や物理学を基礎として今日めざましい発展をとげているのに比べて,“全体的”な人間を対象とする社会科学や人文科学は,それらを貫く共通の概念やコトバをもつことができないため学問の発達が遅々としている。そこでトータルな人間を対象とする学問の中核科学として社会学・文化人類学・心理学を仮定し,これら三つの科学に共通するテーマや概念や方法を見出しながら人間という“全体的”な存在の究明に向けて三つの科学が協力していける態勢づくりをめざさねばならない。このことによって,人間行動の科学の拠点をつくり,戦争と人間とか技術・組織の発達と人間疎外という形で現れてきている人間の問題状況に取り組んでいこうとしたのである。

 当然のことながら人間科学は,社会諸科学の学際的研究の気運を生んだ。その代表として,パーソンズとシルズ(1911〜)が共編した『行為の一般理論をめざして』(1951)がある。またパーソンズの『社会体系』(1951)も同様の方向をめざしている。それは,社会を社会システム・文化システム・パーソナリティー=システムの三つからとらえようとするものであり,のちにはこれらに有機体システムが加わった。この系譜に属する人間科学は,社会科学の人間科学的統合を中心としていたとみることができる。アメリカでは,これらの動向と不即不離の関係で行動科学が発展しつつあった。それは,1950年代以降生物科学と社会科学にまたがる人間行動の統一理論への動きを背景として,〈人間の行動について,客観的な方法で収集された経験的資料に基づいて,一般的な法則を確立し,人間行動を科学的に説明し予測すること〉(ベルレソン)をめざしたものであった。この場合の行動は,観察可能な人間行動が中心であり,より内面的な人間の行為にまで迫るものでなかった。

 他方このような自然科学的方法の一元論をとる行動科学と異なり内在的な理解の方法とか了解の方法をも排除しない,より開かれた人間科学がフランスを中心に1930年末急速に発達してきた。いわゆるシアンス=ユメンヌである。これは,人間を対象とし経験的方法を重視する諸学を総合する分類概念であり,領域的には人文諸学と一部重復し,自然科学に対しては開かれた態度をとることを特色としている。また自然と対立して人間を特徴づけているものについての科学であることを強調していることも注目される。そしてそこには,経済学・社会学・心理学・人類学・地理学・民族学・言語学・歴史学・教育学・政治学・考古学・文献学などが包含されている。そしてこれらの学問がお互いに学際的研究を行いつつ総合的な人間科学としての研究成果をあげることが期待されているのである。また最近では,人間科学の新しい動向がみられるようになった。それは,情報科学と人間生物学を基礎科学とし第5世代コンピュータ遺伝子工学などの先端技術を利用した人間科学の出現である。この場合,心理学・社会学・文化人類学などの社会科学やさらに人文学は,補助的な人間科学として,この新しい総合的な人間科学の一部となるのである。新しい人間科学の主導権は,情報工学者・人間生物学者・医学者などに握られる。背景にはハイテクノロジー社会の出現があり,一種の新人間機械論ともいえよう。先端的なテクノロジーは,人間の精神的機能を肩がわりする力をもつことによって人間に寄り添うテクノロジーとなったのである。

【日本の現状】人間の総合的な研究と教育を推進する機関として注目されるのは,1972年(昭和47)に大阪大学に設定された人間科学部である。それは,心理学・生物学系7講座,社会学・哲学系7講座,教育学系7講座からなり大学院の博士課程をも併設して研究と教育を進めている。どちらかというと,フランスのシアンス=ユメンヌをモデルとしたものである。このほか学部レベルのみの人間科学部をおく私立大学が3校ある。人間科学に関する研究所は存在しない。わが国で大学院をもつ唯一の人間科学部である大阪大学人間科学部の12年の歴史をふりかえってみて,人間科学の発展の見通しをみてみることとする。この学部は,人間の行動・社会・教育についての諸科学の総合的協力研究・脱領域的研究(インターディシプリナリー=スタディー)によって,現代という学的領域の統合への努力と細分化の進む未曽有の転換期の学問的・社会的要請にこたえる目的で生まれた。学部の教育は人間科学科一本に統合し,そのなかに行動系・社会系・形成系の3専攻を置き学生にそのうちの一つを選択させて教育を行う仕組みとなっている。このような人間科学の教育を受けた学生は,卒業後,官庁・官公庁・教員,製造業,銀行などの第3次産業企業の三つの進路に,ほぼ三分されて就職する。産業社会の情報化・ソフト化の進展は,人間科学部卒業生の需要を高めている。彼らに対する期待は,人間に関する幅広い理解力と人間行動を把握するスキルを兼ね備えていることである。他方,人間科学の研究は,大学院において行動学・社会学・教育学・人間学の4専攻で行われている。だが人間や社会の総合的把握のために個々の学問の成果を総合するという人間科学の理念を達成するにはまだ道遠しの感がある。