●人形浄瑠璃 にんぎょうじょうるり
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浄瑠璃の語り芸・三味線の演奏・操り人形の演技の三つが一体となりつくりだす舞台芸術の称。歌舞伎とともに近世二大演劇と呼ばれる。浄瑠璃・三味線・操り人形の三つが統合された時期は不明であるが,江戸時代初頭には京の四条河原などで小屋がけの興行が行われていた。1684年(貞享1)初世竹本義太夫が大坂道頓堀に竹本座を創設する以前を古浄瑠璃の時代といい,さまざまの派の人形浄瑠璃が興行されていたが,演劇的には未成熟だった。義太夫は諸派の長所を採り入れ,工夫を加えて新浄瑠璃と呼ぶ語りの芸を創造,作者に近松門左衛門,三味線に竹沢権右衛門,人形遣いに辰松八郎兵衛らの名手を得て,大坂中の人気を独占した。18世紀初頭,豊竹若太夫が独立して道頓堀に豊竹座を創始すると,竹・豊両座が対抗し合い,人形浄瑠璃全盛時代をつくり出した。作品は近松・紀海音(きのかいおん)ののちは何人かの合作になるが,併行芸能の歌舞伎との交流も盛んに行われ,次々と名作を世に送った。『仮名手本忠臣蔵』『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』などがそれである。1734年(享保19),こんにちのような三人遣いの人形が工夫され,つづいて眉や目の動く仕掛けが案出されるなど,人形のからくりやそれを操作する技術も進んだ。宝暦期(1751〜64)以後,人形浄瑠璃は不振におちいり,古い作品を繰り返し上演する古典劇になり,それが現代まで伝承されている。現在は,最後まで残った唯一の人形浄瑠璃専門劇団である文楽座の名称から,「文楽」というのが代名詞となって用いられている。1983年(昭和58)大阪に国立文楽劇場が創設された。近年は,若い観客層が増加し,一方海外公演も盛んに行われて,世界的にも,高度に洗練された人形劇芸術として高く評価されている。