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●女人禁制 にょにんきんせい

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 多くの聖地・霊場で,信仰上女性が一定の結界に立入ることを禁止すること。また,その制度・領域。女人結界に同じ。わが国では後世まで女人禁制を残したのが,修験の山である。現在でも大和(奈良県)の大峰山(山上ケ嶽)・美作(岡山県)の後山などはこの制を守っている山岳霊場として著名であり,前者は中宮・中院にあたる愛染(1969年まで)が,後者は女人堂が女人結界であった。その初めは最澄(伝教大師)が比叡山にこの制を設けたといわれ,のち高野山・吉野大峰などに及び,さらに全国各地の著名な霊山でも女人禁制を定めるようになったとされる。それは山伏・修験が山岳修行を通して超自然的・霊的能力を身につけることを目的とする考え方から,四季の峰入り修行を行うにあたり,対女性の煩悩を断つことが求められて,女人禁制を厳しくしていたとする。その背景としては仏教思想の女人蔑視を理由とする説明がなされているが疑わしい。日本古代の神祇信仰・民族信仰には女性を禁忌する観念はなく,沖縄のノロに代表されるような巫女(ミコ)が霊域に入って神と一体化し,ヨリマシ(神の霊が依りつく人間)となって祭儀の重要な地位を占めていた例が多い。修験の山の古い結界は中宮から上であったらしく,平安時代の『白山之記』に〈美乃下山長滝寺七社(石同代ト云社マテ参詣スト云々加賀ハ中宮マテ参詣)〉とあるのは,女性が中宮まで参詣することができたことを示している。これは上宮が神の座として神聖視されていたためと考えられ,上述した大峰の場合は愛染から山上ケ嶽までの30kmが結界であった。それが1970年(昭和45)に五番関址(高原辻)まで女性に開放されたのである。こうした女人結界が解除された例は,紀州(和歌山県)の熊野本宮・信濃(長野県)の戸隠山などにも見られ,いずれも「伏拝」まで女性が参詣して本宮を遥拝した。その時期は前者の場合,鎌倉末期までと考えられるが,修験道の変質期である南北朝時代には女人結界が解除された。それを裏付けるのが,和泉式部に仮託した神詠〈もとよりも塵にまじはる神なれば月のさはりもなにかくるしき〉という和歌で,時宗の「不浄除けの名号」で月水の穢れがある女性も熊野本宮に参詣させたのである。これは霊山・霊場の女人禁制の理由が月水の穢れにあったことを想定せしむるが,同時に結界の変遷は各地の修験集団の信仰の盛衰とも対応することは注意される。この意味から修験遺跡としての結界石(姥石・縛石)とその伝承などにも留意する必要があろう。なお女人禁制は聖地・霊場にとどまらず,正月の神事や船霊信仰にともなう漁業習俗・狩猟習俗などの民間の習俗にも見られる。

〔参考文献〕五来重・宮家準他編『山岳宗教史研究叢書』全18巻,1975〜,名著出版