●ニュルンベルク国際軍事裁判 ニュルンベルクこくさいぐんじさいばん
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ナチス=ドイツの重要な指導者の犯罪を裁くため第二次世界大戦終結直後に,今日のドイツ連邦共和国(西ドイツ)南部にあるバイエルン州の中世以来の由緒ある城下町ニュルンベルクで連合国の行った国際裁判。この町は第三帝国時代に毎年ナチス党大会の開かれたゆかりの地。【成立】ナチス=ドイツの行った侵略戦争や数多くの残虐行為に対し,連合国は戦争中から責任者処罰の方針を固め,1945年8月8日にアメリカ・イギリス・フランス・ソヴィエトの4カ国のあいだで成立した「ヨーロッパ枢軸国の重要戦争犯罪人の訴追と処罰に関する協定」によって法的根拠が与えられ,総計19の連合国がこれに参加した。裁判所はイギリスのローレンス判事を裁判長とし,アメリカのビドル判事・フランスのド=バーブル判事・ソヴィエトのニキチェンコ判事によって構成され,1945年10月18日に起訴状が公表された。検察側は,[1]共通の計画または共同謀議,[2]平和に対する罪,[3]戦争犯罪,[4]人道に対する罪,の4点の訴因をあげて告発した。公判は1945年11月20日に始まり,1946年10月1日に結審したが,起訴状に含まれていたライは1945年10月25日に自殺,グスタフ=クルップは重病という理由により審議からはずされた。
【判決】審理の結果,死刑12人,終身刑3人,10年から20年の有期刑4人,無罪3人が宣告された。死刑ののうち全訴因について有罪の判決を下された者は,ゲーリンク(航空相・国家元帥)・リッベントロップ(外相)・ローゼンベルク(東部占領地域大臣)・カイテル(総統本営付幕僚長)・ヨードル(総統本営付作戦部長)の5人,戦争犯罪および人道に対する罪で有罪の判決を下された者は,カルテンブルンナー(SS長官)・フランク(ポーランド総督)・ザウケル(SS国家指導者)・ボルマン(ナチス党官房長,欠席裁判)の4人,共同謀議を除く3訴因で有罪の判決を下された者は,フリック(内相)・ザイス=インクヴァルト(オーストリア=ナチス党首・オランダ総督)の二人,さらに,シュトライヒャー(フランコニア州総督)は人道に対する罪の1訴因で有罪の判決を下された。ヘス(副総統)は共同謀議と平和に対する罪,フンク(経済相)は共同謀議を除く3訴因,レーダー(海軍総司令官)は人道に対する罪を除く3訴因にもとづいて,終身刑の宣告を受けた。人道に対する罪のシーラッハ(ヒトラー青少年団長),戦争犯罪と人道に対する罪のシュペーア(軍需相)はともに20年,また全訴因有罪のノイラート(外相)は15年,さらに平和に対する罪と戦争犯罪の訴因で有罪のデーニッツ(海軍総司令官・国家主席)は10年,それぞれの有期刑の宣告を受けた。無罪放免はシャハト(経済相)・パーペン(オーストリア大使・トルコ大使)・フリッチェ(宣伝相次官)の3人。死刑は1946年1月16日に執行されたが,ゲーリンクはその前日の15日に自決した。この裁判は極東国際軍事裁判とともに,単に戦争犯罪のみでなく,平和に対する罪や人道に対する罪を告発したところに画期性があったのであり,また勝者による敗者へのいましめでもあったが,ニュルンベルク裁判以後も相変わらず国際法を無視する政治家や軍人があとを絶たないという現実が問題であろう。
〔参考文献〕ウェルナー=マーザー,西義之訳『ニュルンベルク裁判』1979,TBSブリタニカ
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