●入浴 にゅうよく
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入浴は,体を洗うことが目的であるが,古代には体を清めることは,それによって,罪や心の汚れが洗われるという宗教的意味があった。入浴が,今日のような日常の習慣になった記録は,前4世紀ごろ,ギリシアの都市に公衆浴場が現れたときから始まっている。ただし,入浴といっても,たいてい大型の水槽から水を汲んで体を洗うか,頭上から流れ落ちる水で灌水浴をするのがふつうであった。ローマでは,前1世紀から帝政になり,初期の皇帝たちによって,巨大な公衆浴場がつくられるようになった。その最大のものは,西暦217年につくられたローマのカラカラ大浴場で,最低2,000〜3,000人を収容することができたという。ローマの没落は入浴からだ,といわれるほどに,道楽者たちは公衆浴場で数時間を過ごし,退屈しのぎに酒を飲んで暇をつぶすなど,風俗が悪くなった。そこで,初期のキリスト教の指導者たちは,厳格な禁欲主義者が多く,入浴やおしゃれには反対で,ローマ人の頽廃した公衆浴場の風俗を,キリスト教徒に見習わせたくない気持が強かった。やがて,ローマ人のはやらせた公衆浴場は「罪悪の温床」だといって禁止され,信仰深いキリスト教徒のなかには,禁欲のために入浴しない人が少なくなかった。しかし,13世紀に入ると,キリスト教の厳しい戒律がゆるんで入浴が復活し,14世紀には蒸し風呂や浴場が多くの人々の集まる社交場となった。16世紀になると,しだいに入浴がはやらなくなり,公衆浴場がなくなってしまった。その原因には,当時流行したらい病・ペスト・梅毒などがあげられるが,人の見ている場所で裸になることが嫌われるようになったともいわれている。その後,ヨーロッパでは,体を洗わない“不潔な時代”がしばらくつづいた。19世紀を迎え,1846年にイギリスで,浴場と洗濯場を奨励する法律が制定され,1875年に「公衆衛生法」ができると,この風潮がオーストリア・ドイツ・スイスなどにひろまっていった。