●日本歴史地図 にほんれきしちず
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歴史地図とは一般に歴史的事象を地図に表現したものである。代表的なものとしては,1897年(明治30)の吉田東伍編著による『大日本読史地図』,1956年(昭和31)の西岡虎之助・服部之総監修による『日本歴史地図』があげられる。これらには,歴史をよりよく理解し解釈するための資料としての価値が認められており,かかる編集意図は,その後の歴史地図にも踏襲されてきた。これに対し,1982年(昭和52)から刊行の始まった竹内理三他編による『日本歴史地図』は,西岡・服部版を踏襲しながらも,それに加えて,考古学者や歴史地理学者が多数参画しており,近年における学術研究の成果が多く載せられている。そこには,過去の自然環境や景観の復原図などが新たに付け加えられ,歴史的事象のみならず,過去の地理的事象を地図に表現するという,いわば「歴史地理図」としての性格がみられるようになった。【歴史地理図】「歴史学」に関連の深い「歴史地理学」は,過去における一定の時期を歴史的現在としてとらえ,その空間組織,すなわち景観や地域を再構成して,その歴史的変化のあとをたどるという研究を,今まで数多く蓄積してきた。これらの研究は,いずれも過去の地理を地図によって表現することに努めている。これは,単に歴史を理解するための「歴史地図」ではなくて,それぞれの地域の個性をとらえるとともに,空間組織に反映されたかぎりで,世界に共通する各時代の特色をあきらかにできるので,「歴史地図」と区別して,「歴史地理図」と呼ばれている。この歴史地理図と従来の歴史地図を相互補完的に用いることで,歴史と地理を,日本という地域の中で認識できるものとなる。
【歴史地理図の地図的表現】歴史地図,および歴史地理図においては,その性格にこだわらず,両者が地図であるかぎり,その地図的表現が問題となる。[1]表現すべき歴史的・地理的情報の選択,[2]同時代資料(古絵図・古文書・古地名・遺物・遺跡など)を用いた共時的な表現法と通時的な表現法,[3]投影法・縮尺などの表現技法がこれにあたる。既往の歴史地図・歴史地理図をみると,原史・古代・中世・近世・および近・現代の各時代ごとに,場合によっては,さらに細分する形で描かれることが多い。まず,原始・古代では,遺跡の分布や条里遺構の復原によって,当時の地形環境における人間の居住域や開発の状況が描かれ,さらには,都城・国府・郡衛・駅路および官道の現地比定をとおして,古代における空間組織が再構成されている。中世の歴史地理図を描くことは,容易ではないが,荘園の荘域や,中世村落の形態が「荘園絵図」などの同時代資料を用いることで復原され,当時の人々の生活世界が再構成されている。また,封建領域のもとでの,中世諸都市のプラン,城館の立地や形態をとおして,都市的な空間構造があきらかとなる。近世になると,城下町をはじめとする近世諸都市には階層性がみられはじめ,全国的な商品流通の発達とあわせて,封建社会における地域構造を地図で表現することができる。また,新田開発による居住域の大きな拡大や,生産力の増大によって,文書史料からの豊富な統計データを用いた「社会経済地図」も描かれている。近・現代になると,工業化や都市化という社会的・経済的変化が,動態的に大縮尺の地図で表現される。また,情報データは膨大となるため,計量的図化には,電算機が積極的に利用され始めている。
〔参考文献〕西岡虎之助・服部之総監修『日本歴史地図』1956,全国教育図書
谷岡武雄『歴史地理学』1979,古今書院