●日本料理 にほんりょうり
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【古代】縄文文化時代の貝塚や泥炭層から,魚貝・鳥獣や木の実など数多い種類が出土するが,全体からみると,鳥獣の肉よりも,淡泊な味の魚貝を食べた方が多かったようである。日本列島の自然条件のためであろう。前3〜前2世紀ごろ北九州から始まった水稲耕作は,しだいに東日本にもひろがった。この農耕生活を中心とする弥生文化の源流は,中国の周末〜漢初の文化と考えられる。前3世紀ごろから日本人は,東アジアの穀物の粒・粉食を習慣とする食生活の圏内に入ったが,次の古墳文化が栄えた5〜6世紀のころまでには,粒食に傾いていたようである。そして,この時代は天皇直属の部民が働く魚塩地(なしおのところ)があり,白蛤(うむぎ)を鱠(なます)につくった磐鹿大雁(いわかむつかり)は,のち天皇の食事をつかさどる膳臣(かしわでのおみ)の祖先とされる。料理によって朝廷に仕える人々があり,材料は魚貝が第1で,調味料は藻塩を焼いてつくった塩,米からつくる酢と酒であり,日本料理の味のもとがすでにできている。中国や朝鮮半島の食生活の影響は,古墳文化以前から大きかった。遣隋使や遣唐使が遣わされた飛鳥・奈良時代や平安時代の初期には,魚貝の加工品を使うことが多く,仏教や道教の教えによって獣肉食は禁じられたので食生活の表面から消えた。前代の傾向はつづいていたが,唐菓子をはじめ醤・クキ※注1※や未醤(高麗醤)という調味料が伝わり,羹・茹茄物・煮物・煎物・焙物・和物・鱠・鮨・漬物など一通りの料理がつくられ,塩・酢・酒のほかに豆醤やクキ※注1※が新しい味を加えた。しかし,肉醤は背腸(せわた)と同じ類の料理となり,腸煎の汁を鰹の煎汁(いろり)の代わりにするなど,中国の食生活とは違う使い方をしている。平安時代にはカスモミ※注2※・炙(おざし)や脯物・ツツミヤマ※注3※・蒸物(むしもの)などの料理が加わり,同じ材料で幾種の料理をつくり,味の甘辛や濃淡づけ,また鳥獣を脯(ほじし)やキタイ※注4※などの干物につくるなど,今日の日本料理の基本が生まれている。そうしたなかで公家のあいだでは庖丁さばきに巧みな者が現れ,飲食の作法とともに故実がつくられた。藤原山陰は料理の新式を定め,四条流の祖とされるが,魚貝料理を中心に伝来の調味料を加えた,日本料理の大きな発達を示すものであろう。【中世】このような公家の食生活は,平安時代の後期から武家に伝えられ,また鎌倉時代の末には四条流から園流,室町時代から江戸時代初めのあいだに同じ流儀を汲む大草流・進士流・園部流の庖丁人が武家に仕え,江戸時代の生門流は町人も対象としていた。さらに鎌倉時代に中国から伝わった臨済宗の寺には調菜が庫裏をあずかり,同仏教の精進生活とは違って,豆腐・饂飩(うどん)などの食品や煮染牛蒡・黒煮蕗・大徳寺納豆などの調理が伝わり,点心・茶子の習慣も加えて,精進料理が公武にひろまり,室町時代には魚鳥料理と融け合い,新しい粉食や嘗物などが加わった。そしてこの時代後半から漁業が発達して鮮魚が出回り始めた。安土桃山時代までに刺身などもつくられ,鮮魚が干物と肩を並べ,献立や故実も変わってくる。こうしたなかで料理が多様になり,本膳料理の形式が整い,今日の日本料理の祖型がつくられた。安土桃山時代にヨーロッパ人の来航によって馬鈴薯,琉球から甘藷などの食品が舶載され,南蛮酒や南蛮菓子も伝わったが,鎖国後はオランダ人をとおし,日本化されながら残ったが,獣肉食はひろまらなかった。一方,中国の民間料理であるタクフク※注5※料理と黄檗宗の普茶料理と呼ぶ精進料理が伝えられたが,卓子料理の形式や食器や,料理の名に面影をとどめるだけである。しかしこれらの外来の料理のなかで,油揚・テンプラのように野菜や魚鳥を材料にした料理がつづいたのは,奈良時代に豆醤を調味料に選んだことに通じるものがある。こうして鎖国の後は室町時代の日本料理の祖型をもとに,変化発展させるほかに道はなかった。
【近世以降】江戸時代には幕府の政策として,また御用学の儒教の説く倫理から,食生活の心得に養生と利方が強調された。醤油と砂糖が安土桃山時代,味醂が江戸時代の後半に加わったが,江戸時代初めの調味料は,中世以来の塩・酢・酒・味醤と鰹のだしが基本であったから,それぞれに変化を加えたバリエーションとして発達していった。食品によって香辛料を替える前代の着想は,調味料にもひろまり,食品との組み合わせに心を配ったので,日本料理はしだいに繊細になっていった。そしてこの傾向が頂点に達すると,食品の産地による特色を生かし,季節や月ごとに食品と調味料を使いわけ,少量の美味に余情を含め,和物・唐物の食器を選び,献立の組み合わせ,調度や環境にも注意する日本科理が完成するのである。それは遊民化した武士や経済力をもった町人に支えられ,料理茶屋を中心に一般にもひろまった。江戸時代の後半に『江戸流行料理通』や『素人庖丁』などが刊行され,上方(かみがた)と江戸の味の違いも書中に示されている。その延長に趣向を替えた生簀料理や即席料理が生まれたのである。明治維新から文明開化の時期になると牛鍋を先頭に西洋料理が盛んとなり,中国料理も新しくひろまった。こうして日本人の食生活には,西洋・中国・日本の3本立ての形が生まれ,この形は今日でもつづいているといえよう。
〔参考文献〕足立勇『改訂日本食物史』1951,雄山閣
森末義彰・菊地勇次郎『改稿食物史-日本人の食生活の展開』1965,第一出版
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