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●日本の歴史的町並み にほんのれきしてきまちなみ

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 町並とは,一群の建物が作りだす地域の景観である。武家屋敷の門と長い壁,街道筋の宿場町のたたずまい,古い寺や神社がつづく古都の風景など,わが国にはまだまだ歴史的町並みが数多く残されている。私たちはそれらの歴史的町並みを訪れると,すでに失われてしまった過去の文化を思いおこすことで感動するが,それは私たち一人ひとりの精神のなかで,歴史的町並みが原風景となっているからにほかならない。

【町並み景観の型】町並みはその町の成立過程に,深くかかわっている。一般に町はことに近世以降の伝統により,城下町・宿場町・港町・門前町・市場町・在郷町のように分類されるが,そのそれぞれが独特の歴史的町並みを形成している。これらの町並みを問題にする際に大切なのは,町をどのような眺めでみることができるかを整理しておくことである。どのような角度で町を見ることができるか,その景観の型には次の四つがあるといわれる。

[1]展望型……ある町や地域を,車や列車の窓から眺める場合の景観。

[2]遠望型……町を遠くから,外側から眺める景観。ことに山の上から眺めた場合など。

[3]環境型……町の中にあって周囲を眺める景観。たとえば公園にあって周囲を眺める場合など。

[4]町並み型……文字通り町並みの景観で,対象は道路沿いの一群の建物である。

これらの景観の型は,町並み保存も含めて,これからの地域景観をどのように作りあげていくかを考えていく上で重要な分析手法となってくる。

【文化財としての町並み】日本は欧米諸国に比べて近代国家として遅れて出発したために,その急速な近代化の波の中で,明治以降幾度となく,文化財が破壊・消滅の危機にさらされてきた。たとえば明治初めの「廃仏毀釈」がそうであったし,大正期の美術品の国外流失,さらには第二次大戦下における戦火がそれであった。ようやく戦後になって1950年(昭和25)に文化財保護法が制定されて,文化財行政は大幅に整備された。この結果,戦前の法律では古い寺社や一部の特権層の所有物を保護することが主であったのに対して,新たに無形文化財や民俗資料が加えられ,一般庶民の生活にかかわるものまで保護の対象となった。ところが,1960年代に始まった高度経済成長は,全国的な規模の開発と都市化の波のもとに,各地の歴史的環境を次々に破壊していった。ことに歴史的環境としての町並みは,経済的な効率のみ重視する思潮の前に力なく,近代的な建築と称する無個性の建物群に変えられていった。これは,地名が1962年(昭和37)の「住居表示に関する法律」によって,無味乾燥な町名に変えられていったのと軌を一にしている。しかし,高度経済成長が公害という現象を生み出したことに気づいた国民は,改めて自分たちの住む地域の歴史的環境にも眼を注ぐようになった。1970年代に入って,歴史的環境保全の運動は急速に盛りあがってきた。1974年(昭和49)には,全国の町並みを守ろうとする市民団体が一堂に集まって,「全国町並み保存連盟」が結成され,〈町並みはみんなのもの〉というスローガンのもとに運動を始めた。その結果,翌1975年には文化財保護法が改正されて,その翌年には秋田県角館町・長野県妻籠・岐阜県白川村など7地区が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたのである。

【町並みから歴史を読む】歴史的町並みが歴史的価値を持っているとすれば,当然,私たちはそこからかつての生活者の知恵を読みとることができる。そして,さらに子どもたちにその経験をさせることによって,彼らの心の中に自らの原風景を形成させることができる。そのことが日本人の形成につながってくるのである。

〔参考文献〕西山夘三監修『歴史的町並み事典』1981,柏書房

太田博太郎他編『図説 日本の町並み』全12巻,1982,第一法規