●日本の対ソ承認 にほんのたいソしょうにん
アジア 日本 AD1924 大正時代
1924年(大正13),ソビエト新政権は,イギリス・イタリア・ノルウェー・オーストリア・ギリシア・スウェーデン・中国などと一連の国交関係・協定を結んだ。各国の対ソ承認によるソヴィエト政権の国際的強化は,対ソ国交に消極的だった日本政府,とくに外務省主流に衝撃を与え,川上俊彦・芳沢謙吉・佐藤尚武らによる対ソ交渉促進論が強調された。政府も満州・蒙古の日本利権が中ソ協定によって弱体化することを警戒し,かつ日本の対外経済政策の後退を防衛するために対ソ承認の推進へ転換をはかった。1924年5月5日,外務人民委員代理・中国駐在全権代表カラハン(1889〜1937)は,芳沢駐華特命全権公使に正式に日ソ交渉開始を要望,北京で会談が進行し,翌1925年(大正14)1月20日,芳沢・カラハン間に日本−ソビエト共和国連邦間の相互関係を律する“日ソ基本条約”が北京で調印された。7カ条の本条約は,同年1月27日に公布され,国際法上の日本の対ソ承認が確立した。