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●日本進歩党 にほんしんぽとう

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 戦後日本の政党名。敗戦直後の保守政党名の一つ。1945年(昭和20)11月16日,旧立憲民政党系が主流となり,戦時中の衆議院議員の大半が集まって結成された。総裁は町田忠治,幹事長鶴見祐輔,綱領には〈国体を擁護し,民主主義に徹底し,議会中心の責任政治を確立す〉とある。幣原内閣の与党として協力。1946年(昭和21)1月の公職追放令により,町田総裁をはじめ幹部が追放され,4月の総選挙では第2党となり,総選挙後,幣原喜重郎を総裁とし,第1次吉田内閣には閣僚を出して協力したが,過半数を制する政党のない上に,大衆運動の高揚もあり,マッカーサ−司令部の援助に助けられる状況であった。こうしたなかで,修正資本主義を主張するものが党内でも強くなり,自由党の芦田均らと連携して,1947年(昭和22)3月31日に進歩党を中心に自由党から芦田均ら9,国民協同党より15,その他7を加えて145人で民主党を結成し,幣原喜重郎を最高顧問,芦田均を総裁とする日本民主党に発展するために解党した。

【日本進歩党の成立】大日本政治会の生まれかわりで,戦時中閣僚ともなった町田忠治・中島知久平・金光庸夫・桜内幸雄・島田俊雄・山崎達之輔・大麻唯男・三好英之らが参加した。総裁には近衛・宇垣があげられたが結果として町田忠治が総裁となり,幹事長に鶴見祐輔がなり,戦争責任については詫を入れ,敗戦の責任は感じたが,戦争責任はあいまいにし自粛自戒を旨とした。共産主義を排撃し,国体護持を強調し,これを守るのは国民的信念であるとし,国の総意を基調とする民本政治・国民責任的政治体制の確立のための憲法改正・議会制度その他についての根本的刷新・自由と基本的人権の尊重を主張した。その改革綱領は日本自由党より保守的であった。この政党は当初より難航つづきであった。それは,旧政友会・旧民政党系といろいろあったこと,旧政友中島系がヘゲモニーを握ろうとしたこともあって,はじめは党首もおかずに出発した。そして総委員制をとり,一宮房治郎・今井健彦・加藤鐐五郎・作田高太郎・斎藤隆夫・田辺七六・東郷実・高橋守平・中井川浩・八角三郎の10名よりなり,常議員会長が川崎克,政務調査会長太田正孝であった。

 綱領を具体的に示すと,〈1.国体を擁護し,民主主義を徹底し,議会中心の責任政治を確立す。1.個人の自由を尊重し,協同自治を基調とし,人格を完成し,世界平和の建設と人類福祉の向上を精進す。 1.自主皆働に徹し産業均整の下,生産の旺盛と分配の公正とを図り,新たなる経済体制を建設して,全国民の生存を碓保する〉となっている。これを読めば,わかるように「国体の護持」「国体の擁護」を守ろうとつとめている。尊厳なる国体を守ることは万古かわらざる国民的信念であるといっている。戦争の敗北の原因は〈軍閥,政治に干支して専横をきわめ,官僚,これに追随して権力を紊り,財閥,これに阿附して私利をむさぼり,政党,また消極無力にして破局を未然に防ぎ得ざりしにあること,天下の定論なり〉としるしている。

 緊急政策として,[1]飢餓対策,[2]悪性インフレーション対策,[3]失業対策,[4]戦災者対策,[5]在外同胞救済対策,[6]司法制度革正対策等をあげている。それを貫くものとしては〈克く,国民自立の方途を講ぜざるべからず,更に之を外にしては排他的優越感に基く国家至上主義思想を払拭して永遠に戦争と武力とに絶縁し,国際主義と相互信頼とに立つ道義外交を恢復し,世界協同組合の参加者として,万世の為めに太平を開き,以て人類文化の進運に貢献せざるべからず,而して斯くの如き基本国家を具顕せんが為めに,国民教育の根本を人格の観念と奉仕の精神とに置き,合理主義の徹底によりて,反動的独断主義の再発を杜絶せざるべからず〉といい切っている。とくに民生の発展に寄与すること,政党の理想であるとしている。

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