●日本画 にほんが
アジア 日本 AD
明治以後西洋画と区別するために,わが国在来の技法・様式による絵画を日本画と呼ぶことになった。しかし日本画といっても元来が中国画法であり,墨や膠でといた岩絵具・有機顔料を併用し,絹や紙などの上に毛筆で描いているのであるから,江戸時代の漢画や大和絵とは,根本的な変化はなかったが,明治以後日本画の名のもとに江戸期の狩野派・雲谷派・土佐派・円山派などの呼称は消滅した。やがて1873年(明治6年)のウィーンの万国博覧会で,日本固有の美術工芸品が好評であったことが動機となって,東京を中心に新しい美術運動が始まり,政府は産業政策上,伝統美術の復興に努め,1877,81年と内国勧業博覧会を開いた。その間,1878年にはアメリカの哲学者で美術研究家であったフェノロサが来日,東京帝大で哲学を講ずるかたわら日本美術の研究に努め,岡倉天心らと協力,東京美術学校を開き,日本画家養成を近代化し,やがて天心は日本美術院を創設,日本画興隆の基礎を築いた。
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