●ニハーワンドの戦い ニハーワンドのたたかい
アジア アジア AD642
642年,アラブ・イスラーム軍がササン朝ペルシアに大勝した戦。ペルシア語ではネハーベントという。641年説もある。636年のカーディスィーヤ戦で大敗をして以来,ササン朝は敗北をつづけ,638年のジャルーラー戦でも敗れイラン高原へ撤退を余儀なくされていた。一方,アラブ軍はカリフ,ウマル1世の方針でザクロス山脈以遠への進軍をひかえていた。数年間兵力を蓄えた皇帝ヤズデギルド3世は,失地回復のため兵員を結集し西方への移動を開始した。ウマル1世はクーファ総督サード=ブン=アビーワッカースの援軍にアンサール出身のヌーマーン=ブン=ムカッリンを将とする一軍を派遣した。ヌーマーンは,イラン高原からイラク北部に通ずる交通路上にあって,ザクロス山中の要所であるニハーワンド(古代のエクダバナの近く)でササン朝軍を破った。この戦の敗北でササン朝軍の組織的抵抗は終わり,イラクとイラン高原は事実上アラブ軍の支配下に入った。