●新渡戸稲造 にとべいなぞう
アジア 日本 AD1862 江戸時代
1862〜1933(文久2〜昭和8) 教育家・農学博士・法学博士。南部藩士の三男として盛岡に生まれる。1875年(明治8)東京外国語学校に入学,1877年(明治10)札幌農学校にすすみ,在学中に受洗する。1883年(明治16)東大入学,その後アメリカとドイツの諸大学で農政学・農業経済学などを学ぶ。1902年(明治35)臨時台湾糖務局長,翌年京大法科大学教授,1904年(明治37)第一高等学校校長に任じられた。1913年(大正2)東大法科大学教授となり,植民政策を担当した。1918年(大正7)東京女子大学学長,1920年(大正9)国際連盟事務次長に就任する。1926年(昭和1)貴族院議員に勅選され,以後とくに日米関係改善に尽力した。1933年(昭和8)カナダでの太平洋問題調査会に出席後,ビクトリアにて病死した。国際平和を主張したが,それは日本の植民地主義政策を認めた上でのものだったといえる。〔参考文献〕『新渡戸稲造全集』1969,教文館
石井満『新渡戸稲造伝』1934,関谷書店
松隈俊子『新渡戸稲造』1969,みすず書房