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●新田義貞 にったよしさだ

アジア 日本 AD1301 鎌倉時代

 1301〜1338(正安3〜暦応1・延元3)鎌倉末・南北朝初期の武将。小太郎と称し,右衛門佐・治部大輔に任じた。新田氏は源義家の孫義重を祖とし上野国新田荘を本貫とする豪族的武士。1333年(元弘3)幕府軍の千早攻めの途中で脱落して本国に帰った義貞は,守護北条氏の臨時徴税使を斬って旗揚げを決意し,5月8日早朝,荘内生品神社で一族とともに挙兵した。上野・越後以下数カ国の軍勢を従えて鎌倉街道を南進した義貞は,5月21日鎌倉を攻略し翌日北条高時も自殺し幕府は倒れた。建武政権下での義貞以下新田一族は,国司や武者所頭人として重用され諸国を転戦するが,東国武士の吸引をめぐる足利氏との抗争には破れている。尊氏の叛旗の際,一族の岩松・山名氏などが足利方となり足元も揺らいだ。1335年(建武2)義貞は,尊氏・直義追討宣旨を帯して鎌倉へ進攻したが破れて帰京した。翌年尊氏軍の入京により,義貞は恒良親王等と奉じて越前に下り金ケ崎城に拠った。落城後は杣(そま)山城に拠り,奥州北畠軍の西上に呼応して勢力を盛り返したが,1338年(暦応1)藤島の燈明寺畷で斯波高経軍との合戦中,矢に当たり不慮の死を遂げた。

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