●日光道中 にっこうどうちゅう
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江戸幕府の直轄した五街道の一つ。江戸日本橋を起点とし最初の宿駅は千住宿である。古河宿で御成道と合流し,小山宿・新田宿の間で壬生道を分岐し,宇都宮宿で奥州道中を分岐し,今市宿で例幣使道を併せ,日光鉢石宿に至る21宿の街道である。本来ならば宇都宮宿までは奥州道中と称してしかるべきであるが,幕府の祖神徳川家康の鎮座する日光との交通を重視したのであった。たとえば家康の側近であった本多正純は1619年(元和5)宇都宮城主となったが,入部早々町割を行い,下町を通る奥州への街道を城内に取り込み街道を上町へ移した。日光への便宜をはかるためであった。かくて日光道中の特徴は人馬の往来が主として日光東照宮に関係する公用であったことである。百万にも達する人馬を動員する将軍の日光社参を頂点とし,法会・遷宮・修築など,また例年の祭礼などにおびただしい人馬が動員された。これによって宿駅はもちろん,広範囲にわたって助郷村々が疲弊したのである。