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●日韓議定書 にっかんぎていしょ

アジア 日本 AD 

 日本のロシアに対する宣戦布告は1904年(明治37)2月10日であったが,日本軍はそれ以前の2月8日には朝鮮の仁川に上陸を開始した。朝鮮政府は日露開戦前の1月21日付で日露の交戦には中立の立場をとると宣言していたにもかかわらず,日本軍はこの宣言を無視して上陸し,またたくまに首都の漢城(ソウル)などを占領する。日本は開戦2週間後の2月23日には「日韓議定書」を朝鮮と締結した。その第1条では,朝鮮は日本の「忠告」つまり内政干渉を「容ルル」こと,第2条では,日本が朝鮮の皇室を確実に「安全康寧ナラシムル」こと,第3条では,日本が朝鮮の「独立及領土保全ヲ確実ニ保証スル」こと,第4条では,「第三国ノ侵害ニ依リ若クハ内乱ノ為メ大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全ニ危險アル場合ハ大日本帝国ハ速ニ臨機必要ノ措置ヲ取ルヘシ」とある。注目される点はまず,第4条の軍事同盟で,これによって朝鮮は全面的に日本に協力することと,同盟に反する条約を結べないことと,さらに皇室の安全を脅かす「内乱」という名分でこれを鎮圧するが,朝鮮政府はこれにも全面的に協力しなければならないことであった。この「内乱」とは実質的には反日運動のことであり,日清戦争の際に朝鮮・台湾の反日運動に懲りたからである。次には,朝鮮の支配層と国民大衆を分断して皇室に対する優遇策を必要以上に強調していることである。この条約は日清戦争のときの「日朝盟約」と同様に,朝鮮は日本の兵站基地となって戦争に協力することになるが,それだけに留まらず日本の朝鮮植民地化の重大な第一歩となる。