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●日蓮正宗 にちれんしょうしゅう

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 日蓮宗の一宗派。日蓮宗の諸門流の派祖と門流は次の通りである。日照(日昭門流・浜門流),日朗日朗門流・比企谷門流),日興日興門流・富士門流),日向(身延門流・藻原門流),日常(中山門流)。このほかに門流に属さない「系」派がある。日蓮正宗は日蓮の六老僧の一人であった日興が派祖で,静岡富士宮市の富士山大石寺が総本山である。古くは富士門流・日興門流・大石寺派と称していた。日興は1333年(正慶2)入寂に臨み,大石寺を弟子の日目に委嘱した。日目はこの法灯を継承し,同年上洛したので日道を大石寺の留守役とし,日尊(にちぞん)・日郷を伴って出立したが,日目は美濃垂井宿で入寂した。日尊はそのまま関西に向かい日郷は富士に帰って日目の遷化を報告した。同時に日目の入寂に当たって自分が大石寺の法灯を委ねられたことを大衆に告げた。これによって大石寺の留守役の日道と日郷との間で,大石寺の継承をめぐって争いが生じ,1336年(延元元)日道は大石寺を継ぎ,日郷は追われて安房吉浜の妙本寺(現在の保田)に退いた。日道の後は,日行(5世)・日時(6世)・日阿(7世)・日影(8世)と継承し,9世の日有は著名な学者で,種脱勝劣の立場から脱益の教主を釈尊,下種益の教主を宗祖日蓮聖人と定め日蓮本仏論を主張した。江戸時代に26世日寛が出て大石寺教学の確立を図った。日寛には日蓮聖人遺文の注釈に10篇があり,宗義を論じたものに『六巻抄』がある。本書によって大石寺系教学は組織大成されたと言える。その特色は日有の日蓮本仏論をさらに推し進め,本果妙の釈尊は脱益の教主で本地自受用報身如来の垂迹にすぎず,日蓮聖人は本地自受用報身如来の再誕で本仏そのものであると解釈したのである。明治期に新政府のもとで教団の統合がなされ,大石寺派は勝劣派に所属し,1876年(明治9)には日興の法脈を汲む富士五山(上条大石寺・重須本門寺・西山本門寺・下条妙蓮寺・小泉久遠寺)を初め,保田妙本寺・京都要法寺・讃岐本門寺等の諸本寺が合同して日蓮宗門派として独立した。1899年(明治32)興門派は本門宗と改称したが,翌年9月には大石寺のみが,この本門宗より離脱して日蓮富士派と称した。さらに1912年(明治45)6月に富士派は日蓮正宗と改称し今日に至っている。なおこの日蓮正宗には在家信者をもって構成される(法華講)一団体として創価学会がある。

〔参考文献〕日蓮宗宗務院日蓮宗事典』1981