●日米和親条約 にちべいわしんじょうやく
アジア 日本 AD1854 江戸時代
神奈川条約ともいう。1854年(安政元)3月31日、アメリカ特使ペリーと、日本側のハヤシアキラ※注1※・井戸覚弘・伊沢政義・鵜沢長鋭との間で調印された。主な内容は、[1]下田・箱館両港を開き、薪水・食料・石炭・欠乏品を供給し、その代価は日本役人が決定、金銀貨で支払うこと、[2]物品の供給はその他の役人が行い、私の取引きは禁じること、[3]アメリカ国漂流民の救済扶助、[4]片務的な最恵国条項などであり、12条から成っていた。さらに6月、13条から成る条約付録が決められ、開港場における細則そのほかが規定された。この条約は著しく片務的でまた貿易を認めていないが、鎖国を打破し日本を開国に導いた点で外交史上画期的であり、続いてほぼ同じ内容の日英協定・日露通好条約・日蘭和親条約が結ばれたが、その先鞭となった。これは、1857年(安政4)の日米協定を経て、本格的な開港を規定した1858年(安政5)に調印された日米修好通商条約に吸収される。
