●二十一カ条要求 にじゅういっかじょうようきゅう
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第一次世界大戦中に,日本が中華民国政府に対して提出した5項目21カ条に及ぶ要求ならびに希望条項の総称。【背景】日本は日露戦争によって南満州に関する利権を獲得し,中国東北への侵出を行ったが,これらの権益を保有する期間は有限であり,特権を確保するためにはなんらかの外交的な手段が必要であった。1914年8月,第一次世界大戦が勃発すると日本は日英同盟を理由に参戦し,青島のドイツ軍要塞を占領した後さらに山東半島の要衝に出兵して中国侵出の意図を露骨に示した。この強引な軍事行動の背景には,欧米列強がヨーロッパの大戦に忙殺されてアジアを省みる余裕がなく,また当時の袁世凱政権が帝制問題などで難局に直面し,日本との対決ができないという諸情勢があった。日本はこの機会に,かねてからの懸案であった特殊権益の延長や中国侵入を有利にするための希望条項を一挙に提出することをはかり,それらをまとめて対華21カ条として中国政府に要求した。
【内容】対華21カ条を5項目に分け,その内容を簡明にまとめてみれば以下のとおりである。第1号−山東省に関する件。[1]中国は,ドイツが山東省に保有していた権益の処分に関して,日独間に成立する協定のすべてを承認すること。[2]山東省における一部の連絡鉄道敷設権を日本に許可すること。第2号…南満州および東部内蒙古に関する件。[1]旅順・大連租借期限ならびに南満州・安奉両鉄道に関する特権を,いずれもさらに99カ年ずつ延長すること。[2]南満州や東部内蒙古において,日本人が商工業や耕作のために,土地の賃借権または所有権を得ること。[3]同じく日本人が諸鉱山の採掘権を得ること。[4]他国人に鉄道敷設権を与えたり,また他国人より鉄道敷設のための資金を仰ぐ際には,あらかじめの日本の同意を必要とすること。[5]政治・財政・軍事の顧問教官を要請する際には,日本の優先権を認めること。第3号…漢冶萍公司に関する件。中国の大製鉄会社である漢冶萍公司を,日本の指導下にある合弁会社とすること。第4号…中国沿岸の港湾および島嶼を,諸外国に譲与したり貸与したりしないこと。第5号(希望条項)…[1]中国政府の政治・財政・軍事の顧問に日本人を傭聘すること。[2]中国内地にある日本の病院・寺院・学校の土地所有権を承認すること。[3]必要に応じ中国の地方の警察を日華合弁とするか,または日本人顧問をおくこと。[4]中国軍隊の一定量の兵器を日本から供給するかまたは日華合弁の兵器廠を建設し,日本から技師の派遣や材料の供給を受けること。
【要求の提出と影響】日本側の要求が余りに過大であったことは,当時の北京公使館の首脳部の反対を招いたほどであり,外務省に対する反対意見も出たが結局は修正されず,1915年1月18日,21カ条は中国側に提出された。この内容はやがて一般の知るところとなり,反日運動の高まりをひきおこすと同時に国際問題化することとなった。しかし日本は強引な交渉でこれを中国に押しつけようとし,5月7日最後通牒を発し9日中国側はこれを受諾した。21カ条の要求は,日本帝国主義の野望を赤裸々に示したものであり,中国政府がこれを受諾したことは打倒封建軍閥政府の気運を高めることとなった。また第一次世界大戦後のパリ平和会議において,中国代表は中国における列強の特殊権益の撤廃とくに日本の21カ条の取り消しを要求したが,列国の賛成を得ることができずついにヴェルサイユ条約の調印を拒否した。21カ条廃棄要求を一つの契機として,1919年5月4日,北京で排日をスローガンとする大規模なデモがおこり,それが五・四運動に発展したことは重要である。1922年のワシントン会議においても中国代表は21カ条条約の撤回を要求したが,日本は一部権益の放棄に応じたのみであり,日中関係はしだいに険悪化し全面戦争の開始につながる一要因となった。