●西原借款 にしはらしゃっかん
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1917年(大正6)から1918年にかけて、寺内正毅内閣が北京政府の段祺瑞内閣と結んだ2億4,000万円の借款のうち、寺内の私設駐華公使西原亀三が勝田主計蔵相と取り決めた借款1億4,500万円をとくに西原借款と呼ぶ。第一次世界大戦の際、欧米列強の勢力が中国から後退したのに乗じて、日本は中国を支配しようと、大隈重信内閣の21カ条の要求に続き、寺内内閣は軍閥段祺瑞の武力統一を援助し、南方の国民党系の勢力に対抗せんがために行った借款である。1917年の第一次交通銀行借款から1918年9月の参戦借款まで、さまざまな名目で計8件の借款が行われたが、ことごとく軍閥政府を強化する目的に用いられた。この借款は中国国民の激しい反発を招き、1919年5月アメリカが提唱した日英米仏新借款団の成立により力を失った。さらにこの借款の担保も不確実で利子回収さえ困難であったため、1925年加藤高明内閣は当時の残高1億3,800万円を国庫に肩代わりさせた。