●西川祐信 にしかわすけのぶ
アジア 日本 AD1671 江戸時代
1671〜1751(寛文11〜宝暦元)上方浮世絵で俗称は祐助,あるいは孫右衛門。後に右京と称し号は自得斎・自得叟・文華堂など。絵は初め狩野永納・土佐光祐に学びさらに菱川師宣・吉田半兵衛の画風を取り入れ,絵本や絵入本を中心に作画活動を行い,元禄末期ころから評判記・狂言本・雛形本・絵本などに挿し絵を描いて独自の道を歩み,生涯に描いた絵本や絵入本は200種を超えたという。また柔味のある筆致に豊かな感情をこめた上方の美人画は彼の本領となり,それも特別気取ることもなくありふれた家庭婦人の姿で描かれ,背景の小道具に至るまで細かく気を配っている。菱川師宣以後の京坂浮世絵界の第一人者として門人も多い。彼のわかりやすい親しみある作品は江戸でも好評で,その影響は石川豊信・鈴木春信に及んだ。代表作は絵本『百人女郎品定』,『浅香山』『役者口三味線』などである。