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●西アジア にしアジア

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 アジアの西部に対する名称で,中央アジア・東南アジアなどに対応して用いられる。東はアフガニスタンから西はトルコまで,北はカフカズ・エルブルズ・ビンドゥークシュ山脈から,南はアラビア半島までを含むが,東は西北インド,西は北アフリカのエジプト・リビアを含むこともあり,厳密な地理的境界は定まっていない。この地域は,西南アジアとも呼ばれ,また歴史的にはオリエントと呼ばれることもある。また,ヨーロッパに近いため,中近東・中東とも呼ばれる。

【自然環境】西アジアの地形は,小アジアからアフガニスタンにかけての褶曲山地帯,メソポタミアの低地,砂漠が大部分を占めるアラビア半島に大別される。北部の褶曲山地帯には,小アジアの黒海沿岸にポンドゥス山脈,地中海沿岸にタウロス山脈が走り,その間にアナトリア高原が横たわる。小アジアの東にはザグロス山脈が走り,その東に平均高度1,300mの起伏に富んだイラン高原が広がっている。このイラン高原は,東はスライマン山脈・北はエルブルズ・ヒンドゥークシュ山脈に囲まれている。ザグロス山脈の西側では,メソポタミアのチグリス・ユーフラテス川流域の低地から,シリア・パレスチナを経てナイル川流域に至る,いわゆる「肥沃な三日月地帯」と言われる地域が存在する。これらの沃野の南にはシリア砂漠が広がり,さらに南のアラビア半島の砂漠地帯に続いている。気候的には西アジアは乾燥地帯に属する。地域差はあるが,大部分の地域では年間降雨量が250mm以下であり空気が著しく乾燥している。しかし,イラン北西部から小アジアにかけて,冬の地中海の低気圧により雨量の多い地域もある。

【民族と言語】西アジアでは古くから民族の移動が盛んであり,さまざまな民族が分布しているが,現在では,主としてザグロス山脈の東側に分布するインド=ヨーロッパ語系のイラン民族の居住する地域と,西側のセム語系民族の分布する地域とに分けられる。セム語地域は,古代においては東セム語系のアッカード語・アッシリア語,西セム語系のウガリト語・フェニキア語・ヘブライ語・アラム語などを用いる多様な民族によって占められていた。しかし,7世紀以降のアラブ人の征服活動により,現在ではヘブライ語を用いるユダヤ人のイスラエル共和国を除いてはアラビア語が用いられている。また,種々の民族が混在していた小アジアは,11世紀以降トルコ民族によって征服されトルコ語が用いられている。

【経済】西アジアの農業は,降雨の比較的多い地域や,河川の流域・オアシス・地下水灌漑の発達した地域で営まれる。主要農産物は小麦・大麦・綿花・果物・ナツメヤシなどである。一方,水の乏しい地域ではおもに羊・山羊・ラクダなどの家畜の遊牧が行われる。これらの農耕社会と遊牧民との交易や対立,潅漑や地下水の利用などの水利権をめぐる問題は,西アジアの歴史・社会に大きな影響を与えてきた。現在,西アジアで最も重要な産物は石油である。アラビア半島・イランには世界有数の油田地帯があり,クウェート・サウジアラビアの石油埋蔵量は世界最大である。油田開発は外国資本によって行われてきたが,近年,西アジア産油諸国は有利な利権協定を獲得し,ほかの地域の産油国とともに OPEC(石油輸出国機構)を組織し,世界経済のうえで重要な地位を占めている。

【歴史】先史時代から現在までの西アジアの長い歴史は,イスラームの勃興以前と以後との二つに大別される。西アジアでは洪積世以後,気候が乾燥し始めると狩猟・採集経済を営むことが困難になり,「肥沃な三日月地帯」で農耕による生産経済が開始された。現在知られている最古の生産経済に基づく文化は,イラク北部のカリム・シャヒル文化であり,その年代は紀元前6000年ごろにさかのぼると推定されている。なお,牧畜は農耕にやや遅れて,やはり「肥沃な三日月地帯」で発展したと考えられている。生産経済時代の後期には,イラク南部が文化の先進地域となり,ウルク期(前3000〜前2800ごろ)からジェムデド=ナスル期(前2800〜前2700ごろ)にかけて都市が出現し,ウルク期では象形文字が発明された。このいわゆる「都市革命」の後,シュメール人の神政政治による都市国家時代が訪れ,西アジアの政治・経済・文化は飛躍的に発展し始めた。その後,イラク南部にはアッカード王国・ウル第3王朝などが栄えるが,前2000年紀に入ると西アジア全体に大規模な民族移動がおこり,ヒッタイト人バビロニア人が王朝を建てたほかイラン人もイラン高原に移住した。前1000年紀に入るとこれらの諸国家をしだいに征服・統一し,官僚機構と神官により農民や奴隷を支配し,大規模な治水灌漑工事を行う専制国家が出現する。アッシリア帝国メディア王国,バビロニアのカルデア王国,小アジアのリュディア王国などがその代表である。この時代には,フェニキア人のアルファベットの発明,バビロニアの六十進法,エジプトの太陽暦の使用,ユダヤ人による一神教の信仰など,世界の文明に大きな影響を与えるものが続出した。前6世紀末から前5世紀前半にかけて,イランに出現したアケメネス朝ペルシア帝国が西アジアを初めて一つの国家に統一することに成功した。しかしこの帝国も,前4世紀にマケドニアのアレクサンドロス大王によって征服され,西アジアはギリシア文化の影響を受けたヘレニズム世界となる。しかし,アレクサンドロスの帝国の崩壊後,小アジアとエジプトを除く西アジアは,再びイラン系のアルサケス朝パルティア)の支配下に入り,ギリシア文化は結局深い影響を残さないままに終わった。アルサケス朝およびそれに代わったササン朝ペルシア帝国は,東西交易から多大な収入を得ながらも,西方のローマ帝国との戦争により西アジアの文化的・政治的な統一を維持することはできなかった。しかし,アラビア半島におけるイスラームの台頭によって,このような西アジアの情勢は一変した。アラビア半島では,紅海側の都市メッカが,東西交易からの収益により繁栄していた。メッカの有力部族であるクライシュ族出身の預言者ムハンマドは,唯一の神に帰依すべきことを説いて,多神崇拝が行われていたアラビア半島を宗教的にも政治的にも統一し,首都をメッカの北東の都市メディナに置いた。ムハンマドの没後,預言者の代理人として,アブー=バクル・ウマル・ウスマーンの三人のカリフが選出された。この約30年間を正統カリフ時代と言い,この時期には,アラビア半島の再統一とアラビア半島の外の異教徒に対する大規模なジハード(聖戦)が行われた。アラブは,ローマ帝国の後継者であるビザンツ帝国からシリア・パレスチナ・エジプトを奪うと共に,ササン朝ペルシアを滅ぼしてイラクとペルシアを占領し中央アジアにも進出した。これらの征服地では,イスラームに改宗した被征服民にはある程度の特権が与えられ,また改宗しなくともジズヤ(人頭税)・ハラージュ土地税)を納めれば信仰の自由が認められるなど,ゆるやかな措置がとられた。しかし,正統カリフ時代は,第4代カリフでムハンマドのいとこ・娘婿であるアリーの暗殺によって終わった。アリーに対して反乱をおこしたシリア総督ムアーウィヤが,ダマスカスを首都として世襲のウマイヤ朝を建て西アジアの政治的統一を保ったが,これ以後イスラームは,ウマイヤ朝を正統と認めるスンニー派と,アリーの党派であるシーア派に分裂することになった。ウマイヤ朝は,東はアム川まで西はイベリア半島にまで領土を広げたが,シーア派の宗教運動やイラン人の民族運動などのゆえに崩壊し,750年にイラン的色彩の濃いアッバース朝にとって代わられた。これによりアラブが西アジアで絶対的な優位を保っていた時代は終わった。しかしこのころまでには,多様な言語と宗教を含んでいた西アジアのほぼ全域にアラビア語とイスラームとが浸透した。アッバース朝はイラクのバグダッドに首都をおき,イラン系の貴族や官僚を中心とする官僚組織を整備し,東西交易の主要幹線路をおさえて中継交易を独占した。しかし,10世紀になると,スペイン・エジプト・イラン・中央アジアに割拠してアッバース朝は弱体化していった。

 11世紀に入ると,中央アジアからトルコマン系のセルジューク=トルコ族がイランに侵入し,1055年にはバグダッドに入城してアッバース朝カリフからスルタンの称号を獲得した。セルジューク朝トルコによる西アジア支配は短期間しか続かず,13世紀にはモンゴル系のイル=ハン国によって西アジアの大部分が支配された。しかしこれは一時的なもので,小アジアに興り,1453年にはコンスタンティノープルを占領したオスマン=トルコ帝国が,バルカン半島・シリア・イラク・エジプトなどを征服し,サファヴィ朝のイランと対立した。またヨーロッパに対しても,ウィーン攻囲を行うなどの軍事行動をおこした。政治的には,アッバース朝からカリフ位を奪い政教一致の政治を行った。16世紀から17世紀初めにかけては,オスマン=トルコ・サファヴィ朝イランが共に最盛期を迎え,文化の発達にもめざましいものを見た。しかし,17世紀以来,産業革命により飛躍的に発展したヨーロッパ勢力に圧迫されてしだいに衰退し,19世紀にはギリシア・エジプト・アルジェリア・モロッコなど多くの領土を失い,西アジアはヨーロッパ列強の植民地・半植民地として事実上分割された。19世紀以来,西アジアでは,弱体化したオスマン=トルコ帝国とヨーロッパ列強の支配に対する民族主義運動が盛んになった。オスマン=トルコが第一次世界大戦に敗れて崩壊すると,トルコ人はケマル=アタテュルクの指導のもとでトルコ共和国を建国し,近代化を推し進めた。またイランにおいても,レザ=シャー=パフラヴィーにより新たな国家が建国された。しかし,長らくオスマン=トルコ帝国の専制支配下におかれ,部族間の割拠が著しく,ヨーロッパ列強とくにイギリス・フランスの利害関係が複雑にからみ合ったアラブの独立は困難であった。しかも,第一次世界大戦の際,バルフォア宜言によりパレスチナにユダヤ人国家の建設が認められたことは,アラブを刺激する結果となった。1922年にエジプト王国が独立してから次々にアラブ民族国家が誕生したが,アラブ民族の統一は実現されなかった。

 第二次世界大戦後,西アジアは再び世界の政治に大きな影響を与えるようになった。これは,ヨーロッパ列強の西アジアへの影響力が弱まり民族主義が高揚したこと,東西両陣営の対立のため西アジアの戦略的価値が高まったこと,西アジアが世界最大の石油産出地域になったことなどによるものである。このような情勢のなかで,1945年3月にエジプト・シリア・レバノン・ヨルダン・イラクの間でアラブ連盟が結成され,後にイエメン・サウジアラビアも加わった。こうして再びアラブが西アジアにおいて大きな役割を果たすようになった。1948年にイスラエル共和国が成立すると,アラブ連盟参加国はイスラエルとの間にパレスチナ戦争をおこして,アラブ集団安全保障条約を結ぶに至った。一方,西側諸国の東側に対する中東防衛政策として,1955年にイギリス・トルコ・イラン・イラク・パキスタンの間に,バグダッド条約と呼ばれる反共軍事同盟が結成された。これに対して,エジプトのナセル大統領の指導のもとにいわゆる〈非同盟政策〉が推進された。これは東西どちらの陣営とも友好を保ち,分裂していたアラブを再統一しようというものであった。こうした政策によりエジプトはシリアと合邦してアラブ連合共和国を建てた。ヨルダンとイラクはこれに対抗してアラブ連邦を結成したが,まもなくイラクに革命がおこりアラブ連邦は消滅し,イラクはバグダッド条約から脱退した。この時期の西アジアは〈世界の火薬庫〉と言われるほど緊張した状態にあった。しかし,東西の冷戦時代が去るとともにアラブ諸国は統一への夢を捨て,より現実的な経済的独立をめざすようになっている。

【政治】現在の西アジアは,パレスチナ問題・イラン革命・イラン-イラク戦争など,さまざまな問題をかかえている。パレスチナ問題は,1979年3月にいわゆる「キャンプ=デービッド合意」に基づいてエジプト-イスラエル間に平和条約調印がなされた。しかし,パレスチナ自治権交渉は進展せず,1982年6月にイスラエルのレバノン侵攻により両国関係は冷却した。これに対してアメリカは,9月の大統領演説により新たな包括的和平提案を行ったがこの問題の早急な解決は望めない状態である。一方,イランでは農地改革や急速な近代化を推し進めていたパフラヴィー王朝が,宗教界を中心とする反体制派の運動により1979年に倒れた。イラン革命の指導者ホメイニ師は,新たな共和国において政教一致の政治をめざしているが,実際の政治指導者はテクノクラートなどで占められており,革命政権はまだ不安定な状態が続いている。さらに,1982年9月には,イラン革命後断続的におこっていた国境紛争からイラン-イラク戦争が勃発し,現在では消耗戦の様相を呈している。

【宗教】古代の西アジアにおいては,ユダヤ教・キリスト教,イスラームの一神教が興る以前には多神教が行われていた。シュメール人の都市国家においては,それぞれの都市には固有の守護神が存在していた。たとえば,エリドゥ市はエンキ神,ウル市はナンナル神,ウルク市はアヌ神がそれぞれ守護神であり,国家の主権はこれらの神に帰せられていた。シュメールの神々の属性は,アッカード・バビロニア・アッシリアの神々にも受け継がれていた。一方,ヘブライ人は,もともとはエホバのほかに異民族の神々を認めていたが,前750年ごろから一連の預言者により一神教への改革が行われ,後にキリスト教を生む母体となった。また,古代イラン人の信仰したゾロアスター教は,二元論を説きキリスト教に影響を及ぼした。現在,西アジアのみならず東南アジア・アフリカにも多数の信者を有する世界宗教であるイスラームは,これらの宗教から多大な影響を受けている。このように,西アジアは三つの一神教を生み出した地域なのである。 現在の西アジアは,イスラエルとキプロスを除き,イスラームが支配的な宗教となっている。イスラームは,正統派のスンニー派とシーア派とに分かれ,歴史上多くの紛争と分派活動をひきおこしてきたが,今ではシーア派を奉ずるイランを除き大部分がスンニー派に属している。イスラームは,信徒にさまざまな日常生活の規制を課し,男女の隔離など独特の社会制度を形成させるため,西アジアの近代化の障害と見なされがちだった。しかし,19世紀のアラビア半島の民族運動高揚の陰には,厳格なイスラームの戒律への復帰をめざすワッハーブ派の運動があった。また近年では,急速な近代化による矛盾に対してイスラームの伝統的価値観を見直す運動が目立っている。