●二元論 にげんろん
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二元論とは、さまざまな概念や社会的事象を秩序づけるための概念的統合原理の一つであり、諸概念・諸事象を相対立する二つの観念領域に区分して位置づけることによって統合する原理をいう。二つの観念領域に分けられる内容は、地域や時代によってさまざまに異なり、またその二つの領域の対立の構造的形式も少しずつ異なっているが、二元論的パターンは、アジア・ヨーロッパ・アフリカから南北アメリカ大陸の先住民社会まで世界中の至る所で見られる。
【相補的二元論】アフリカやインドネシアの諸社会の多くでは、二元論は、右と左・男と女・善と悪・清浄と不浄などの二項対立の象徴的結合として表れており、対立の結合は儀礼の中などのさまざまな行為を通じてなされ、ゆるやかに統合された一つの全体的な二元論を構成している。その対立の形式は、価値の上では非対称的な対立関係であり、二つの領域は禁忌によって厳密に分けられてはいるが相互補完的であり、悪や不浄といえども世界や社会の調和を支えている補完物とされる。またこれらの二元論では右手や男といった操作可能な具体的なものが用いられるのが特徴であるが、二元論を構成しているのは物そのものでなく観念であり、右手や男も実体としてではなく相補的に対立する関係から捉えられている。したがってその限りで相対的であり、実体として男や右手であっても状況によっては女や左手の領域に区分され得る。このような相補的二元論をより抽象的に表明しているものが、古代中国の易に見られる「陰陽二元論」である。そこではあらゆる自然現象と社会現象が、陰陽二元の組み合わせによって説明される。陰(消極)と陽(積極)は、たとえば男が女に対して陽であれば女は男に対して陰であり、陰陽両者があって均衡するというように相補的対立関係にある。また陰陽は実体的な固定された性質ではなく相対的関係であり、たとえばある男は女に対しては陽であるが親に対しては子として陰となる。同一物も他との関係に応じて陰にも陽にも転化する。自分に対して陽であるものに対して陰とならないことは“不正”であり、万物の生成変化は陰陽の相対的・相補的対立関係による陰と陽の交替として説明される。陰がなければ陽はなく、陽がなければ陰がないという意味で、陰陽の相対的・相補的対立こそ万物の生成変化をもたらすとともに万物の調和・統合をもたらしている。
【二元論の対立と解消】二元論において諸概念の多様性と事物の生成変化は、対立する二つの観念領域や原理の交替・闘争・合一によって説明される。共時的な対立のモデルには右と左・上と下などの空間構造を援用することが多い一方、交替のモデルには、ふつう昼と夜・季節などの時間構造が用いられる。また宗教的二元論においては、二つの対立する領域がしばしば二神の対立によって表され、事物の生成変化は善神と悪神の闘争によって説明される。その典型がゾロアスター教の二元論であるが、そこでは最後の審判の後は善神のみが支配する世界が建設されると考えられている。しかし北アメリカ先住民やアフリカの社会に見られる神の二元論では相補性が強調されており、悪神もトリックスター神であり、その無秩序ぶりも世界の生成と維持に欠かせぬものとされる。概念の統合にヒエラルキーを併用している社会では、この二元論の相補性を、両義的な至高神によって表すことも多い。たとえば古代インドのミトラ=ヴァルナは、慈悲と静穏の聖職の相をもつミトラと、攻撃的で荒々しい戦士の相をもつヴァルナの合わさった至高神であり、ミトラは男と昼、ヴァルナは女と夜を表す。またアフリカのダオメの至高神マウ=リサも、半身が女で夜を支配し、はかの半身が男で昼を支配するという一柱の両性具有神である。このような両性具有神は、二元論的対立の総合であると同時に分極化される以前の全体をも表象する。この“対立の一致”“対立の解消”を表象している“第三項”が、二元論の相補性を保証しているのである。このような“第三項”は、両性具有的至高者をもたない二元論においても、〈対立の象徴的逆転〉などによって表象されている。
〔参考文献〕エリアーデ、前田耕作訳『宗教の意味と歴史』エリアーデ著作集、1973年、せりか書房