●ニケーア公会議 ニケーアこうかいぎ
AD325
325年 三位一体を主張するアタナシウス派を正統とし,アリウス派を異端として排斥することを決定した宗教会議。アレクサンドリアの司祭アリウスは,イエス=キリストは人間であり,神によって選ばれた人ではあるが神性をもたず,天なる父と異にすると主張した。アリウスの説はアレクサンドリアの司教アレクサンデルによって誤りだとされ,318年アレクサンドリアで開かれた宗教会議でアリウスは追放された。しかしニコメディアの司教エウセビオスがアリウス説を擁護し,エジプト・リビアなど東方各地で支持者を得て東方の諸教会は分裂状態に陥った。324年,コンスタンティヌス大帝はコルドヴァの司教を派遣して両者の調停を試みたが失敗した。そこで大帝は,300人近い司教たちをニケーアに召集して第1回公会議を開催し,自ら討議に参加した。会議に参加したのは大部分東方の司教で,西方からは数人しか参加しなかった。会議はニコメディアの司教エウセビオスに指導されたアリウスの支持者たち,アレクサンドリアの司教アレクサンデルを支持する者,そしてカイザリアの司教エウセビオスを中心とした大多数の中間派という三つのグループに分かれた。そしてカイザリアの司教エウセビオスが提出した「信仰告白」の原案を修正して正統的告白文を作成した。また司教アレクサンデルに随行した司教アタナシウスの活躍により〈父と子は同等である〉 Homoousia という式句を加えて神の三位一体とイエス=キリストの神性に関するいわゆる「ニケーア信条」を採択し,“異質”を唱え「ニケーア信条」に署名することを拒否したニコメディアのエウセビオスらのアリウス派を追放した。その他,復活祭の祝日の統一・司教の選任・司教区組織・独身制など20条にわたる決議を行った。そして381年,コンスタンティノープルにおける宗教会議で三位一体説が最終的に承認された。キリスト教による国家の統一をめざすコンスタンティヌス大帝にとっては,教会の分裂という事態は望ましいことではなかった。そのためキリスト論を定式化して教会の統一をはかり,教義・信条・教会組織・典礼などを統一する必要があった。〔参考文献〕半田元夫・今野国雄『キリスト教史 I』世界宗教史叢書1,1977,山川出版社
F=ティンネフェルト,弓削達訳『初期ビザンツ社会』1984,岩波書店