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●新嘗祭 にいなめさい

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「しんじょうさい」ともいう。もとは大嘗祭ともいったが,大嘗祭が践祚大嘗祭の意に固定して以来,宮廷で行われるのを新嘗祭という。11月中の卯日に行われたが,下卯の日に固定し,現在の皇室祭祀では11月23日に行われる。天皇が祭主となって天神地祇に新穀を供し,自らも共食する。古事記歌謡では「にひなへ」の語が見え,万葉集には「にふなみ」(巻16,3460)・「早稲(わせ)をにへす」(巻14,3386)などと表現し,民間でも行う行事であって,皇極紀元年11月16日丁卯(中の卯の日)〈天皇,新嘗をきこしめす。是日に皇子・大臣,各自ら新嘗しき〉とあるように,古代では皇室ばかりでなく各氏族の家々でも行った。新穀の聖なるものに,土地の神(祖霊)に宿るという信仰はアジア東南方の稲作民族に見られることだが,大和民族も稲が渡来以来,神話(書紀)では稲は天照大神が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂を天孫邇邇芸(ににぎ)尊に授けて,この国にもたらさせて,土地神大山祇神の女,木花開耶(このはなさくや)姫と結ばせたと伝えるように,稲種は年の始め歳神=若神=天稚御子(あめのわかみこ)=ニニギ(熟田津のニギ)が,天照大神=日神=ムスヒ(生産霊)から授かったものを土地に播種して成熟させるという観念である。それゆえ,ムスヒから派遣された稲種は首長の手を経て授かるものと考えられ,今にその習俗を伝えているところがある。それは稲穂が渡来し,天つ神からの授りもの,首長から与えられるという意識を生み,収穫感謝祭が変貌し新嘗祭の色彩を濃厚にしていったと考えられる。新嘗祭は旧11月下卯の日,天皇が新穀による稲作農業は定住する社会ができてから成立する。春には種を播いて以来,豊かな陽光(日神=ムスヒ)と降雨の適切な恵みによって,自然の脅威から守護され秋に収穫される。そのためにも正月や定例の春・夏期に神々に祈願する。したがって首長は穫れた秋には新穀によってムスの神(日神=生産神)と土地の神(祖霊)に神饌・神酒をつくり,自ら神に感謝して祭祀し共に食する。この儀礼を天皇自らが行う儀礼が新嘗祭である。村落生活でも新嘗祭(霜月祭)は各家で行われる場と神社に男だけが集まり,別火精進して酒饌を調進し神に供え直会(なおらい)をするところが現在に及ぶまである。この祭りはその年の穀物の実り具合や種類・地域によって異なっていて一定しなかったのであろう。新嘗は五穀収穫後,神に供進するため物忌みをする。〈誰ぞこの戸おそぶるにふなみにわが夫(せ)をやりて斎(いは)めこの戸を〉(万葉巻14)・〈にほどりの葛飾早稲(かつしかわせ)をにへすともそのかなしきを外に立てめやも〉(同上)に見えるように,母権制度の保たれていた東国では,その家の女が巫女として祭祀したのである。また『常陸国風土記』によれば筑波地方では粟食生活であったらしく,「新粟(わせ)の新嘗」の夜に偶然か「神祖(みおやの)尊」(祖霊=土地神)が富士山と筑波山とを訪れる。新嘗の物忌みを守って祖神を泊めなかった富士山は一年中雪が降る罰を受け,親子の情にほだされて新嘗の戒を破って訪れた祖神を泊めた筑波のほうが利益を得るという。ムスヒ(生産霊=日神・穀霊)より土地神=祖霊を人倫から見た説話であるが,祖霊と新嘗を受ける神とは異なるものであることがこの説話で明らかであり,新嘗は天から授った穀霊生産霊に感謝するのが本来の姿であったのである。

〔参考文献〕岡田精司編『大嘗祭と新嘗』1979,学生社

皇学館大学神道研究所編『大嘗祭の研究』1978,皇学館大学出版部

三谷栄一『日本文学の民俗学的研究』1960,有精堂