●新島襄 にいじまじょう
アジア 日本 AD1843 江戸時代
1843/1845〜1890(天保14/弘化2〜明治23)明治の教育家・宗教家。幼名を七五三太(しめた)。通称を約瑟(ジョセフ)・襄。諱を敬幹。上州安中藩士の子として江戸に生まれる。藩の選抜生として蘭学を学び,18歳のころに漢訳聖書抜本を読んでキリスト研究を志したと言われる。1864年(元治1)国禁を犯し米国船の乗組員として働きながら渡米。船内ではジョーと呼ばれた。ボストンの船主の援助によって,アマースト大学などを卒業。さらにアンドバー神学校も卒業した。神学校在学中に岩倉遣外使節一行の通訳となり,米国・欧州の教育事情を視察する。1874年(明治7)宣教師として帰国,翌年同志社英学校を,1877年に同志社女学校を創立した。一方,夏休みなどには自身で,または学生を派遣して全国各地で伝道してもいる。1884年に同志壮大学設立計画の発表,1888年には「同志社大学設立の趣旨」を公表して総合大学設立への意欲を見せたが,資金集めなどに奔走中,大磯の旅館で病死した。