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●南北朝正閏論 なんぼくちょうせいじゅんろん

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 『大日本史』の三大特筆の一つである南北朝正閏論は,幕末から明治中期まで一世を風靡した。1910年(明治43)国定教科書の『尋常小学日本歴史』は南北朝を対等に扱い,その編者喜田貞吉は同年11月の講習会において両朝の正閏軽重を論ずべきでないと説明したのに対し,水戸出身の小学教員峯間信吉が非難の火の手をあげたのが導火線となり,教育問題から社会問題・政治問題となり,翌年2月には帝国議会において犬養毅の権太郎内閣に対する問責演説が行われたのを初めとして,両院において相次いで政府攻撃が行われた。政府は同28日喜田貞吉に休職を命じ,南朝を正統とすることについて勅裁を仰いだ上で教科書を改訂し世論を鎮定することができた。この問題は教育家・政治家などによって主として名分道徳の問題として論議されたが,これを機として歴史家の間にもその史観を発表するものが輩出し,近世初期におこった正閏論が再現した。