●南蛮寺 なんばんじ
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近世初期,織田信長は,自身はさめていたがキリスト教には理解を示していた。1569年(永禄12),ルイス=フロイスを引見し布教を許可,伝道事業はますますさかんとなる。これに先だつ1561年(永禄4),イエズス会は京都姥柳町に一屋を買い求め布教の拠点とした。のち,宣教師オルガンティーノが信長に信頼されると,オルガンティーノが主となって近畿地方のキリスト教信者の協力をもとに天主堂建設に着手。1575年(天正3)に着工,1578年完成をみる。これが京都の南蛮寺である。のちの図絵などを参考にすると,3層建,六間よりなる建物であり,信長の命により村井貞勝が築成を援けている。外観は寺社のようにみえるが,内装は西欧的特徴の濃いものであったと考えられる。伝道は無論のこと,諸学芸や宗教文学,西洋美術などにより当時の風俗に与えた影響は少なくなかった。なお,京都の妙心寺春光院には1577年の西暦年号とイエズス会章を鋳刻した京都南蛮寺の鐘が今日まで伝存されている。