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●南蛮 なんばん

アジア 中華人民共和国 AD 

 中華思想により中国を中心に北狄西戎東夷,南蛮の周辺とその民族を呼ぶ。すなわち南蛮は南アジアの諸国・諸民族をさす言葉であるが,16世紀中期ポルトガル人がインドを拠点に日本に渡来するようになって以来,ヨーロッパにも拡大して用いられ,その後渡来のイタリア人,スペイン人などもすべて南蛮人と称された。一部には西欧を“奥南蛮”としているものもある。これとともに,西欧渡来のものは一般に“南蛮もの”と称され,南蛮の冠称を付して用いられる。とくに1590年代は,南蛮文化の流行が見られ,南蛮屏風の構図的に述べると,入港の南蛮船から南蛮笠をかぶり,あるいは南蛮傘をかざし,カルサン※注1※(calcao カルサン)をはいた南蛮人が,ときには南蛮犬などをつれて降り立つ。南蛮渡りの品物が山積みされた見世が立並び,伴天連の姿も見られる。一方には南蛮寺の内部が描かれ,南蛮椅子・机や祭壇,南蛮絵などが掲げられる。南蛮屏風にはまた地図屏風や南蛮風俗屏風,洋楽弾奏図などもあるが,何よりもパン,カステイラ,ボタン,カッパなど生活関係ポルトガル語の根強い伝存が注目される。カルサンも“もんぺ”など半袴類の呼称として方言的に伝存している。陶磁,漆器類その他伝統工芸品にも南蛮的意匠が見られ,カルタなどの遊戯類にもおよぶ。とくにキリシタン活動に伴う学的知識の紹介は,在華イエズス会士らの著作の導入と相俟って江戸鎖国下にも陰然たる影響を残している。そして江戸中期になると紅毛(オランダ)渡来ばかりか,中国伝来のものまで“南蛮渡り”とされ,南蛮筒(鉄砲),南蛮(唐)辛子,南蛮(唐)黍,南蛮焼などのように,広く舶載品に用いられるようになっている。なお,明治末期,新詩社の人々が平戸,長崎,島原,天草に旅して異国情緒に強く牽かれ,北原白秋の『邪宗門木下杢太郎の『南蛮寺門前』などの作品となり,新村出のキリシタン南蛮文学の紹介などと相俟って,大正期には一種の南蛮趣味が強まり,マリア観音,クルス紋はては南蛮燈籠など,多くの牽強附会の説が行われ,郷土史家らをまどわすことともなった。一方,本格的な東西文化交渉史,キリシタン史,南蛮文化の研究が進められる機縁ともなったともいえる。

〔参考文献〕松田毅一『南蛮の世界』1975,東海大学出版会

松田毅一『キリシタン・史実と美術』1969,淡交社

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