●納戸神 なんどがみ
アジア 日本 AD
寝部屋としての納戸に祭る神をいう。納戸とは,もともと物を納める所という意味であったが,やがてそこを寝室としても使うようになった。そのために,納戸といえば,むしろ寝部屋を意味するょうになった。ただし,各地で実際に使われていることばではなく,各地ではいろいろな呼称で呼ばれている。納戸といえば,通常も奥まった部屋であり,裏側の薄暗い,そしてむしろ穢れ多い部屋でさえある。そこへ神を祀るというのは,少なくとも今日の感覚では割り切れない。ところが,この風習は全国的に少なくないのである。最もはっきりしているのは,島根県の隠岐島と八束郡の東北部,鳥取県の伯耆地方,岡山県美作の北部,および島根県鹿足郡の南部から山口県佐波郡の東部にかけての地方である。これらの地方では,多くの家が表側の上の間に神棚を祭り,台所の一隅には恵比須・大黒棚を祭りながら,納戸にもやはり神棚を設けている。これをトシトコさん,あるいは年神さん,亥の子さんと呼ぶ。鳥取県の因幡地方や兵庫県の西部地方も同様である。この辺りでは常設の神棚はないが,正月や亥の子には納戸にお供えをする。このトシトコ・亥の子地帯ともいうべき地方の西南,すなわち岡山県の大部分から広島県比婆郡の一部,香川県三豊郡の一部などでは,納戸に恵比須・大黒を祭るふうがある。九州では少ないが,長崎県五島の宇久島などにはあって,やはり大黒像を祭り,2月と11月との丑の日に餅をついて供える。一方,東日本では群馬県の勢多郡,茨城県の中部,岩手県江刺郡の一部などにみられる。その呼称は,主としてお宇賀さま,宇賀神さまとなっている。宇賀とは,いうまでもなく宇賀能美多麻(うがのみたま)の宇賀であろう。東北では,山形県の置賜地方や宮城県刈田郡の一部などにもこのふうがあって,呼称はオタナさま,オトウカさまとなっている。オタナさまとは,ただ棚に祭る神という意味であろうが,オトウカさまは“お稲荷さま”の音読であるという。とすればこれも関東に多いお宇賀さま,すなわち宇賀能美多麻と別のものではないことになる。これらの諸例を通じてみると,その祭祀形態が最も古いと思われるのは,やはり山陰での形である。ここで,この神をトシトコとか年神,あるいは亥の子といっているのは,その祭りが正月や秋の亥の子に,とくに盛大に行われるからである。トシトコとはいっても,通常のいわゆる年神とは違うのである。通常のいわゆる年神は,大晦日の夜に来てトンドに帰って行くが,ここでいう納戸のトシトコは秋の亥の子の晩に帰って来て,正月11日のいわゆる鍬初めの日に出て行くことになっている。その神実(かみざね)は稲穂である。秋の亥の子の日,一家の主人が田へ出て最後の落穂を拾って帰り,これで田の神さんは,納戸のトシトコさんになられるといっているところもある。隠岐の海土町などでは,納戸の一隅に祭る小宮を正月鍬初めの日には田へ持ち出し,秋の亥の子になるともって帰って納戸に安置するという,きわめてリアルな形を取る家もあった。このことから,この神の実態は,田の神・穀霊であることがわかる。1年の司役を果たした穀霊は,そのままにしておいたのでは老朽化してしまう。したがって収穫した穀物は,まず産屋に入れて新しい魂に生まれかわらせなければならないという,今も東アジアの米作地帯に点々と残る穀霊信仰が,古くは日本にもあった。沖縄の八重山では,稲積みと人間の産屋とを同じシラという言葉で呼んでいる。つまり稲積みが,穀霊誕生の産屋だったからである。そうした信仰が,建築技術の発達によって納戸に持ち込まれた。これが納戸神のおこりであったと考えたい。また中途で倉にも持ち込まれた。穀物の神宇賀能美多麻を,『日本書紀』で〈倉稲魂神〉と書いているのは,その段階での表現であると思われる。