●南学 なんがく
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江戸時代の朱子学の一派。海南の地である土佐国に伝えられたので南学という。土佐は,1318年(文保2)に夢窓疎石が五台山に吸江庵を開いて,臨済禅とともに儒学を伝えた。天文年間(1532〜54)の末期に大内家の家臣だったともいわれる南村梅軒が土佐に渡って守護吉良宣経に仕え,『孝経』や『四書』を講じた。吸江庵住職の釈忍性と大平寺の釈如淵は,土佐国主長曽我部元親に儒書を講義した。雪渓寺住職釈天質は,慶長末年か天和初年のころより儒書を講義して門弟を育てた。なお如淵,天質は京都の妙心寺で修行したことがある。谷時中(1598〜1649)はもと浄土真宗の僧だったが天質の弟子となり,還俗して朱子学を講じて,小倉三省(1604〜54),野中兼山(1615〜63),山崎闇斎(1618〜82)らを育てた。三省と兼山は執政として土佐藩政の確立に尽力した。闇斎が京都に帰り,三省が死去し,藩政を支配した兼山が失脚すると,南学は頓挫した。しかし,谷秦山(1663〜1718)が京都に遊学して闇斎について闇斎系朱子学と垂加神道を学び,帰国して土佐藩に出仕してから南学は再興して,学統を伝えた。