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●南越 なんえつ

アジア 中華人民共和国 AD 

 秦滅亡後独立し,前漢武帝時代まで嶺南地方(広東省・広西壮族自治区)及びヴェトナム北部に割拠した国。古代中国南方に居住した越人の一支で族名でもある。南粤とも書く。建国者趙佗は,真定(河北省正定県)の人。秦代には南海郡の龍川令をつとめていた。秦滅亡後,広東,広西およびその南方一帯に割拠し,自立して南越武王と称した。前196(高祖11)年,漢の高祖は陸賈を派遣し,趙佗を南越王に封じて懐柔した。呂后時代には,漢に反抗して,南越武帝と自称し,兵を発して長沙の辺邑を侵すなど勢威を張った。文帝は,ふたたび陸賈を遣わして和を議させた。そこで趙佗は,漢に対して藩臣となり帝号を去った。しかし自国内では帝号を称していた。前137(建元4)年,趙佗が没した。第2代南越王は,趙佗の孫,趙胡(文王)で,10数年在位した。1983年6月,広東省広州市象崗山で,趙胡(文王)のものとみられる墓が発見され,青銅礼器,楽器,銅・鉄の兵器,生産用具,玉,石器,金・銀器,象牙,漆器,絹織物などの副葬品1,000点あまりが出土した。さらに文王および殉死者の遺骸とともに,文王の印章とみられる,竜のつまみのついた金印も発見された。第3代南越王は,趙胡の子,趙嬰斉(明王)で,在位7〜8年たらずで没した。第4代南越王は,趙嬰斉の子,趙興で,母の樛氏を太后とした。前112(元鼎5)年,南越の丞相呂嘉が内乱をおこし,王(趙興)とその母(樛氏)を殺し,趙興の異母兄である趙建徳を立てて第5代南越王とし,漢に反抗した。そこで漢の武帝は,同年秋,伏波将軍路博徳,楼船将軍楊僕らの率いる大軍を組織して南越を攻撃し,前111(元鼎6)年春,都の番禺(広東省広州市)を陥落させ,趙建徳,呂嘉を捕え,ついにこれを滅ぼした。武帝は,南越平定後,その地に郡を設置した。