●夏目漱石 なつめそうせき
アジア 日本 AD1867 江戸時代
1867〜1916(慶応3〜大正5)小説家・英文学者。本名金之助。江戸牛込馬場下(現新宿区牛込喜久井町)に名主の5男3女の末子として生まれる。生後間もなく里子に出され,2歳のとき,塩原昌之助の養子となり,10歳のとき,生家に帰った。東京府立第一中学校や二松学舎などを経て,大学予備門(一高の前身),帝大英文科に学び,1893年(明治26)卒業。大学院に在籍しつつ,東京高等師範学校(現筑波大学の前身)などの英語教師となるが,1895年,松山の尋常中学校に赴任,翌年,熊本の第五高等学校(現熊本大学の前身)講師(のち教授)となり,中根鏡子と結婚。1900年10月,英国留学,ロンドンで2年余り W.J.クレイグ の個人教授を受けた以外は下宿にこもって独学,文学の心理学的社会学的研究を志し,発狂の噂も伝わった。1903年1月,帰朝して東大および第一高等学校講師となり,ロンドンでの成果である『文学論』のほか『文学評論』(18世紀英文学)などを講じた。一方,高浜虚子にすすめられて写生文の筆をとり,『吾輩は猫である』(1905〜06)を「ホトトギス」に連載して文名をあげ,さらに『倫敦塔』をはじめとする7編を集めた『漾虚集』(ようきょしゅう,1906)により,日露戦後の新文学として認められた。翌年(1907)大学を辞して東京朝日新聞入社,以後,『虞美人草』(ぐびじんそう)を第一作として,『坑夫』『夢十夜』(1908)で新たな方法を自覚しつつ,『三四郎』『それから』『門』(1908〜10)のいわゆる前期3部作で青年のゆくえを問い,『彼岸過迄』『行人』『こころ』(1912〜14)の後期3部作では,避けがたい人間の運命を追求した。自伝的な『道草』(1915)で自己省察を加えつつ,『明暗』ヘと進んで死により中絶したが,講演やエッセイ類も優れたものが多く,俳句や漢詩,書画も魅力的であり,真に国民的作家の名にあたいする。
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