●長束正家 なつかまさいえ
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?〜1600(慶長5)安土・桃山の武将。名を新三郎・利兵衛。近江国の出身で,初めは織田信長の重臣丹羽長秀の臣であった。計算に長じ財務に通じていたので,長秀の死後1585年(天正13)に豊臣秀吉に登用されることとなり,やがて五奉行の1人となる。1589年(天正17),北条攻め(小田原の役)に備え,糧食の準備を命じられた。1591年(天正19)には検地奉行として近江を検地。その後肥前名護屋城や伏見城の工事の分担を受けもつ。1595年(文禄4),近江水口城5万石の城主となり,その後12万石に加増される。秀吉の死後,石田三成と結んで,西軍として関ケ原の戦いに参加した。初め伊勢に出陣して安濃津城を落とした。主戦場となった関ケ原では雨宮山に陣したが,吉川(きつかわ)広家のために戦うことができずに帰城。だが追手の池田輝政らの軍に城を囲まれ,また池田長吉に欺かれて城を出て,近江桜井谷で自害。その首は三成のものとともに,京都三条河原にさらされた。