●ナチス
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD
ドイツのファシズム政党(1919〜45)。正式の党名は国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)。【イデオロギー】1919年1月,ミュンヘンでドイツ労働者党が創立され,同年9月ヒトラー入党。1920年2月,党綱領が制定され,翌月,国民社会主義ドイツ労働者党と改称し,翌年6月ヒトラーが党首となる。そのイデオロギーは,ナチズムと総称される。それは戦闘的な反マルクス主義とともに,反民主主義・反自由主義を基本とし,厳格な命令体系の原理=指導者原理,反ユダヤ主義的なゲルマン民族至上主義,生存圏の確保をめざす戦争の肯定を特徴とする。合わせて不労所得の廃止,大企業(トラスト)の国有化,大百貨店の公有化,地代の廃止,投機業者および不正商人の処刑など,社会主義的色調を帯びた現状打破を叫んだ。このようにナチスのイデオロギーは,単純な右翼・左翼という既成の座標軸をもってしては測定しがたい,独自な特質をもっていた。
【権力獲得への道】ナチスは,結党当初は,バイエルンの国防軍の援助のもとで,クーデタによる政権奪取をはかった。しかし1923年11月8〜9日,ベルリン中央政府打倒の一揆(ミュンヘン一揆)をおこしたが,失敗し,党は禁止された。1925年2月,党が再建されるとともに,その行動様式も大きく転換した。集会,パレード,党員拡大,さまざまな大衆組織の構築と利用,選挙活動など合法的舞台の活用へとむかった。党員数も1925年に2万7,000人,1926年に4万9,000人,1927年に7万2,000人,1928年に10万8,000人と着実に増大していった。しかし1928年5月の国会選挙では,得票率2.6%,12議席の獲得にとどまった。ところが1929年に始まった世界恐慌がドイツにも襲来すると,絶望と不安のなかに投げこまれた新旧中間層,失業者,青年などの支持を得て,1930年9月の国会選挙では,一躍,得票率18.3%,議席数107を獲得し,第2党に進出した。いまや一大政治勢力となったナチスは,1931年10月には,国家人民党・鉄兜団などとハルツブルク戦線を結成し,工業界,農業界,軍部の有力者と提携を深める機会にした。さらに1932年1月,ヒトラーは,デュッセルドルフの工業クラブで,工業家たちをまえにして,熱烈な反民主主義・反共産主義の演説を行った。こうしてナチス躍進の社会的基盤をなしていた新旧中間層,失業者,青年層に加えて,大工業家や大地主層の支援を獲得していった。保守的・右翼的勢力や政府は,共産党の進出に対抗できる勢力として,ナチスを利用しようとした。しかしナチスの真の狙いは,これらの勢力と提携して勢力を伸ばしつつも,あくまで一党独裁体制の樹立にあった。1932年の7月と11月に2度にわたって行われた国会選挙では,ナチスはそれぞれ得票率37.4%,33.1%,得票数1,000万を越え,第1党となった。しかし議会の過半数を占めてはいなかった。こうしてナチスと右翼勢力との妥協のうえに,1933年1月30日,ヒトラーを首相とするナチス・右翼勢力の連立政府が成立した。
【ナチス革命】1933年2月27日夜,国会議事堂炎上事件がおこった。ナチスはただちに,これを共産党の一斉蜂起の合図として,共産党への徹底的な弾圧に乗りだした。そして3月23日,ヒトラーは国会に「全権委任法」を提出した。これは政府に立法権をゆだねる法律であった。これを成立させたヒトラーは,共産党についで社会民主党を非合法化し,国家人民党をナチスに吸収した。その他の政党は,相次いで自発的に解散した。こうして7月14日,ナチスを唯一の合法政党とする法律が発布された。このような1933年1〜7月の憲法上の変革は,ナチス革命といわれる。
【第三帝国】ナチス一党支配下の国家は第三帝国といわれる。ここではナチス党幹部が国家機構を独占した。反ナチス派は捕えられ,強制収容所に送られたり,殺害された。1938年以後,侵略戦争への道を進み,第二次世界大戦をひきおこし,1945年滅びた。
〔参考文献〕村瀬興雄『ナチズム』1968,中央公論社
山口定『ナチ・エリート』1976,中央公論社
山口定『ファシズム』1979,有斐閣