●ナセル
アフリカ エジプト・アラブ共和国 AD1918
1918〜70 中学生のころから民族運動に関心を示していたナセルは,軍人としての道を選んだ。第二次世界大戦末に,封建制の一掃,軍部上層や政界の改革などを意図して,同志たちと「自由将校団」を結成した。第二次世界大戦後,イスラエル共和国が建国されると,アラブ連盟諸国がパレスチナに進攻して,パレスチナ戦争(1948〜49)をおこした。ナセルは,この戦争で戦功をたてたが,アラブ軍は敗北した。この敗北によってエジプトの革新運動は著しくなり,1950年の総選挙でワフド党が大勝した。新政府は,イギリス軍のスエズ地帯駐留を認めた1936年の協定を破棄して,イギリス軍の即時撤退を要求した。これに連動して国内では反イギリス・テロが頻発し,イギリス守備兵との衝突さえおこった。こうした動揺のなかで,ナセルはナギブ将軍を同志に加えて軍の一体化をはかるとともに,国内の革新勢力と協調して1952年7月,軍事革命を成功させた。この軍事革命は,ワフド党などの革新運動を一歩進め,独立後も外国勢力と結託していた王族,封建的地主勢力,資本家勢力の支配を排除し,権力を中産階級出身の多い軍部中間層に集中させて,国民の完全な解放をめざすものであった。同時にこの解放運動をエジプト1国のものでなくアラブ地域全体のものとして位置づけた。しかし急速な革新は軍内部保守派の不満を生み.それは1953年6月,ナギブが大統領について共和国宣言をして以来強まり,保守派と革新派との権力闘争に発展した。1954年11月,ナセルはナギブ大統領を追放して権力を握り,1956年6月,新憲法を公布し大統領についた。1956年10月,アスワン=ハイダム建設資金援助をめぐる対立からスエズ運河を接収しスエズ戦争を引きおこしたナセルは,この戦争を機に,ソ連や東ヨーロッパ圏に接近し,反帝国主義の立場を明確にしてミスル銀行など外国企業を国有化した。また国民を単一の政党組織「国民連合」に総動員して難局を乗り切る体制を整えた。一方アラブに対しては,1958年,シリアと合邦してアラブ連合を結成し,アラブ連帯の意識を高揚させた。しかしこのアラブ連合は,シリア側での条件整備がなされなかったため,1961年9月に崩壊した。
1961年からの数年間,ナセルは政治・経済改革を大幅に進めて,アラブ社会主義の実現に努めた。アラブ社会主義とは,「富裕化と社会主義と自由を追求し,生産手段の民衆による統制と社会主義的デモクラシーを実現する」ものである。彼はその実現のためには,階級闘争でなく,全階層の国民的同盟が必要であるとして「アラブ社会主義連合」を組織した。1964年3月,単一政党からなる議会が発足し憲法が制定された。この憲法で特徴的な点は「各種の大衆政治機構内で農民と労働者に半分の議席を保障する」「生産手段の民衆による統制」などがある。経済制度では,私有財産制は認めているが,個人所得の制限,会社経営の労働者の参加など私有財産に対する種々の規制がある。こうしたアラブ=ナショナリズムを基本とするナセリズムは,アラブ統一をも至高目標としていた。すでにシリアとの統合に失敗したナセルは,その教訓を生かして,1964年5月,イラクと統合協定を結び,合同大統領評議会・合同軍事司令部・合同政治指導部・経済調整委員を設けた。これに関連してイラクでは既成政党を解体し「アラブ社会主義連合」を結成した。1966年,シリアにバース急進派の政権が誕生すると,接近をはかり10月に共同防衛協定を結び,シリアとの関係を回復した。このころからアラブ連合とサウジアラビアなどのアラブ保守国との対立が激しくなり,アラブ陣営の結束が乱れた。そこでナセルはシリアがイスラエルからの攻撃を受け,再度攻撃の危機が迫った時期を逃さず,1967年6月,中東戦争をおこし,アラブの結束回復をはかった。戦争はアラブ連合側の敗北に終わり,ナセルはその責任を痛感して辞意を国民に伝えた。だが国民から辞意を認められず,引きつづき政権をゆだねさせられた。
戦後処理は内外ともに困難をきわめた。インフレ,シナイ半島の喪失,スエズ運河収入の喪失など経済面の打撃が大きかった。また対イスラエルでは,承認しない,交渉しない,和平しない,パレスチナ人の権利回復の4原則を掲げた。これによって戦争は継続する形となり,市民の不満も高まり混迷した事態になった。1970年9月,国連の調停,パレスチナ=ゲリラの問題,さらに国内問題と多忙のさなか,心臓発作で急死した。52歳。
ナセルの国際政治に対する姿勢は,積極的中立主義を基本として,アジア・アフリカの弱小国をリードして,米ソにつぐ第三勢力をつくり出し国際社会での発言力を強めようとすることにあった。この姿勢によって米ソの対話が展開され,さらに各国のナショナリズムも高揚させられるなど,ネール,チトーとともに,国際政治の上で大きな役割を果たした。