●投銀 なげがね
アジア 日本 AD
抛銀とも書く。江戸時代初期の朱印船貿易の盛んなころ,わが国の豪商たちはポルトガル,中国人,海外貿易をする日本人たちに,船舶ならびに船荷を担保として,資金を貸し付け投資した。それを投銀・海上銀 reopandentia という。日本へ帰航したのちに,元利を返済させることを約定し,貿易投資をした。島井,末次両家には貸付証文がのこっている。投銀証文は,現在日本文30通,ポルトガル文6通がのこっている。そこには出発者名・借受人名・借受銀額・利率・投資船名・渡航地名・客商名・かこいの割増率・担保・連帯保証人名・契約年月日の11項目が規定されている。貸付銀額30貫より150貫に及び,必ず丁銀を用いた。利率は,ポルトガル人に対し2.5〜3.8割,日本人・中国人に対して3.5〜10割に達した。それぞれ航海および元利回収の危険率に応じた。貸主は長崎,博多,堺の商人がおもであり,単独貸より組合貸しが多かった。一航海は約半年であった。1639年以降天川船の投銀は禁止された。