●今帰仁城跡 なきじんじょうせき
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今帰仁村今泊ハンタ原の標高80〜100mの古生期石灰岩上に築かれた城。南は懸崖幽谷をへだてて背後の山に連なり,東と北は高さ70〜80mの断崖下に志慶真川が流れる天然の要塞の地にある。築城年代は明らかではないが,1383年ころ怕尼芝(はねじ)が城主となり,それにつづく,ミン※注1※,攀安知(はんあんち)までに城築改修が行われ,現在みるような規模に達したと考えられる。『明実録』によると,1383〜1415年(洪武16〜永楽13)の32年間,怕尼芝・ミン※注1※・攀安知らが中国との交易を行ったことが記されている。1416年(1422年説もある),中山王尚巴志(しょうはし)の率いる中山連合軍に攻められ,攀安知は滅亡した。尚巴志はその後北山地方鎮撫のためにこの城に北山監守を置き,一時護佐丸を任じたが,他は王子をあて第2尚氏の7代まで続き,以後廃城となった。1980年から城内の発掘調査が実施され,大量の中国陶磁と武器武具,古銭などが出土し,主郭には翼廓を有する正殿跡も発見された。国指定史跡。
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