50音順    検 索

●長篠合戦 ながしののかっせん

アジア 日本 AD1575 室町時代

 1575年(天正3)5月,織田信長徳川家康の連合軍が,武田勝頼の軍を三河国南設楽(みなみしたら)郡長篠,設楽原(現愛知県南設楽郡鳳来町長篠)において破った戦い。長篠は信濃国伊那・諏訪から東海方面へむかう要衝で,徳川・武田氏の争奪地となった。1574年,勝頼は遠江国高天神城(現静岡県小笠郡大東町土方)を家康から奪取し,ついで1575年5月には2万余の大軍をもって長篠城を包囲した。武田氏の猛攻により同城は落城寸前となったため,城将奥平信昌は家康に急ぎ援軍を求めた。家康は信長に加勢を依頼するとともにただちに出陣。三河国野田で織田軍と合流し設楽原にむかった。ついで織田・徳川軍は設楽原の白陣の前に馬防柵を設け鉄砲3,000丁を準備し,それを3段に分け,敵の攻撃に対し1段ずつ交互の一斉射撃を企図した。これに対して武田軍は,強力な騎馬長槍隊でのぞんだものの壊滅的な敗北を喫した。以後武田氏は衰退へとむかいはじめる。この戦いは近代兵器鉄砲の威力が十分に示され,従来の戦術に大きな転換をもたらす意味をもった。