●長崎奉行 ながさきぶぎょう
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江戸幕府の職名で遠国奉行の一つ。長崎市中の支配をまかされ,幕府の命令を長崎町人のみならず,唐・蘭人に伝え,遵守させること,貿易の監督,諸外国の動静を探ることなどが主務であった。また長崎港で事件がおこれば,近国の諸大名を率いる軍事指揮権をも有していた。豊臣秀吉が長崎を直轄華車とするや,鍋島直茂を代官とし,つづいて肥前唐浅の領主・寺沢広高が初代長崎奉行となった。江戸初期は家康の側近や大名クラスが任ぜられたが鎖国前後から,老中支配のもと1,000石高の旗本が役料4,400俵で任命された。定員は1名からしだいに増加し,元禄期には4名となり,貿易高の減少とともに定員も2名に減っている。長崎奉行は江戸にあって常勤せず,蘭船の入航する7月から出航する9月ごろまで長崎に駐在し,人数が増えると交替制となった。それでもその特権によって輸入品を安く購入したり,入朔銀と称する祝い金を地役人や唐・蘭人から得たのでその地位をのぞむ旗本が多く,運動費は,三千両といわれるほどであった。