●長崎新令 ながさきしんれい
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徳川幕府が1715年(正徳5),中国船(以下唐船という),オランダ船(以下蘭船という)との貿易について定めた仕法。その大要は[1]銅代物替(唐船銀額4,200貫・蘭船800貫の輸入品と,銅を交換する仕法)を廃止し,銅貿易の年額を唐船300万斤・蘭船150万斤に限る。[2]輸入品を入札で取り引きするのを改め,すべての輸入品について日本側がまず指値(さしね)を行い,指値を基にして売手と話し合って値を決める。[3]年度の貿易船数を唐船30艘・蘭船2艘の定数に改め,唐船には信牌の制(しんぱい)を新設して定数30艘を維持する手段とする。[4]唐船の追御定高貿易(おってのおじょうだか)を廃止し,俵物・諸色で行う銀額3,000貫限度の代物替(輸入品との物々交換)を新設する。新令によって長崎貿易の総取引高は,公式銀額1万2,400貫になり,従前の公式総取引高1万6,400貫を4,000貫縮小した。しかし,実質は400貫ほどの縮小であった。〔参考文献〕山脇悌二郎『長崎の唐人貿易』1972,吉川弘文館