●長岡京 ながおかきょう
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平安時代初期の帝都で京都府南部の市。1949年(昭和24),乙訓郡乙訓,海印寺,新神足の三村の合体で誕生した長岡町が,1972年に市制を実施している。784年(延暦3),桓武天皇は即位まもなく藤原小黒麻呂,藤原種継をして山城の長岡の地を相した。奈良時代末期にようやく弛緩しきった律令体制を復興している。淀川筋にのぞみ水陸交通に便なるこの地を予定されている,787年には藤原種継が造営使の長官に任ぜられ,諸国の民を役して造営の業が始められ,早くも,その11月に行幸さえ行った。しかし翌年9月,天皇は一時平城に帰っている。そしてついに794年(延暦13)には,附近の平安京に遷都するにいたった。その遺跡は現在の京都府乙訓郡長岡町一帯の地で,大極殿址を存している。その規模,大きさは平城京・平安京と相似ている。この都の造営の主役は,種継の姻戚であり,北山城地方に蟠居していた大豪族秦朝元の一族であるともいわれている。