50音順    検 索

●永井柳太郎 ながいりゅうたろう

アジア 日本 AD1881 明治時代

 1881〜1944(明治14〜昭和29)1881年(明治14)石川県金沢市に生まれる。同志社中学,関西学院に学んで,キリスト教に開眼し,1905年(明治38),早稲田大学を卒業,イギリスのオックスフォード大学に留学,1909年(明治42)帰国して,早稲田大学教授となり,社会政策と植民政策を担当した。1918年(大正6),早稲田大学の紛争があって大学教授の職を辞したが,この前年,石川県金沢市で衆議院議員に立候補して落選,1920年(大正9)には当選,この後1944年(昭和29)63歳で死去するまで代議士として活動した。大正9年には「西にレーニン,東に原敬」の国会処女演説で原内閣を批判し,普通選挙の実現に努力し,昭和に入ってからは民政党幹事長,斉藤内閣拓務大臣,第一次近衛内閣逓信大臣,阿部内閣の鉄道と逓信大臣の兼務を歴任,この間,電力国家管理法案,大日本育英会法案の実現に努力した。雄弁家として知られたが,早稲田の大隈重信安部磯雄などの精神をついで議会政治を発展させるとした年来の志は,軍国時代において実らなかった。