●中井正一 なかいまさかず
アジア 日本 AD1900 明治時代
1900〜1952(明治33〜昭和27)日本最初の帝王切開により広島県竹原市に生まれる。三高をへて京大哲学科に入り深田康算について美学を専攻。1925年(大正14),卒業して大学院に進み『深田康算全集』編集に当たる。1933年(昭和8),京大滝川事件では文学部大学院生の中心となって活動した。翌年京大講師となり,1935年2月芸術理論誌『美・批評』を改題して,新村猛,真下信一,武谷三男らと『世界文化』を創刊,世界の反ファシズム運動を紹介するとともに,これに対応する理論の構築につとめ,自らの滝川事件および京都消費組合運動の経験をふまえて,「委員会の論理」(『美と集団の論理』1962,所収)に結実させた。1936年,能勢克男,斎藤雷太郎とともに文化的週刊誌「土曜日」を刊行したが,1937年11月,仲間とともに治安維持法違反で検挙された。敗戦後,尾道市立図書館長として文化啓蒙運動にしたがい,1948年,羽仁五郎の推薦で国立国会図書館副館長に就任したが,創設の激務のなかでたおれた。〔参考文献〕鈴木正『日本の合理論』1961
久野収『30年代の思想家たち』1975