●中井竹山 なかいちくざん
アジア 日本 AD1730 江戸時代
1730〜1804(享保15〜文化1)江戸中期の儒者。通称と本名は善太積善,字は子慶,竹山は号,別号は同関子・渫翁など。父は誠之,甃庵(しゅうあん)と号し懐徳堂の第2代学生。母は植村氏。兄弟2人中の長男,弟は積徳(号は履軒)。竹山の妻は革島氏,9男4女を生む。大坂尼崎町の懐徳堂内で生まれる。五井蘭洲(懐徳堂助教)に朱子学を学ぶ。1782年(天明2),第3代学主三宅春樓のあとを受けて第4代学生となる。竹山は朱子学を正学として重んじたが,学説を固定的にとらえることをしなかった。たとえば理気二元説においては,朱子は理を万物の存在根拠とし,気を陰陽五行に分化していくものとするけれども,竹山は理を気の法則とし,気が陰陽五行に分化することを否定する。寛政改革のとき,首席老中松平定信が来坂した際に竹山に政治上の諮問を行ったが,これに答えて『草芽危言』を著した。また,徳川家康の伝記である『逸史』を著して幕府に上呈した。主著は上記のほか,『易断』『詩律兆』『非徴』『社倉私議』『奠陰集』など。
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