●直会 なおらい
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祭りの祭祀者や参加者が,神ヘの供物と同じものを相嘗めすること。しかし今では,神事終了後の宴をいう。九州の多くの土地では,正月の雑煮餅をナオライ,あるいは訛ってノウレイなどという。市川市の駒形神社のオビシャでは,祭りに食べる赤飯にかぎって,赤飯と呼ばずにオノライといい,直会が神供そのものを意味した古風がうかがわれる。祭りの核心は直会であって,神祭のあとの付帯行事ではない。直会を“直る”,つまり祭りからあらためて別の状態に入ることと解するのは誤りである。中世の公家の記録である『後押小路内府抄』に〈直会ヲ折敷高杯ニ居ク〉という表現があり,やはり直会は神供そのものを意味している。新嘗(にいなめ)・大嘗の字の古訓が,ナフラヒ・ナムラヒであり,やがてナウリアイと訛り,さらにナオライと転じたのであるといわれる。つまり直会は,神供を神人ともに嘗め頂くことだったのである。嘗め合うべき飲食物を祭りの中心と考えなくなってから,祭りの後宴のように理解されはじめたのである。嘗(にえ)はもちろん漢字の当て字だが,ニハナヘとかニフナミ,ニハヒと読み,ナメルとかアヘル(饗)と同義であった。柳田国男は稲積の呼称は古くニホであり,ニホはニヒとかニヘに通じ嘗の語となるといい,それは具体的には,稲穂がついたままの供物のことであろうといっている。このように,直会の本源を探っていくと神供としての餅であり,赤飯であり,さらには稲穂,つまり初穂が最も古風な要素として考慮されてくる。【中国・貴州省の稲作儀礼】日本に稲作をもたらしたとされる中国江南に,今も数多くの稲作儀礼を伝える少数民族がいる。なかでも貴州省黔東南(けんとうなん)ミャオ族トン族自治に住む,ミャオ族やトン族の吃新節(チーシンジェ)と呼ばれる新嘗の儀礼は,きわめて注目に価する。ミャオ族には,焼畑民と水稲耕作民との二つの集団がある。これまで水稲耕作民としてのミャオ族は,まったく注目されていなかった。黔東南のミャオ族およびトン族の吃新節にはいく通りかのやり方がある。一つは,含苞(ハンパオ)というまだ稲葉に包まれている幼穂を水田から数本抜き取ってきて祖先をまつる棚に供え,家族そろっての食事に糯米のおこわの上にのせて,生のまま食べるのである。含苞はいくぶん青くさいが,甘い香りがしていかにもすがすがしい。おこわは,植物で黄色に染める地方もあり,同時に田魚(田で育てた鯉や鮒をいう)を食べる習慣もある。この日は新嘗祭の日であり,祖先をまつる日でもあるという。漢民族はこの日を七月半といい,7月15日を祭日とするが,少数民族は6月から7月にかけて行い,その祭日はまちまちである。含苞を生のまま食べることをしない地方もある。初穂を,祖先の棚に供えてから籾をむき,糯米の上にのせて精米ごと蒸して茶碗に盛りつけて食べる。田魚のほか酒も供え,食べたり飲んだりする。また新穀を,人が食べる前に犬に食べさせる地方もある。最初に稲を招来したのは,犬であるという伝承にもとづき,感謝の意を表すのだという。
【神饌を中心とした祭】祭りの神饌には,ふだん口にしないようなまずい食べ物も出る。蔓草の一種のトコロや稗酒,あるいは一夜酒,酒の肴には大根の輪切りといった類である。祭りには,原初へさかのぼるという面があるからである。また特色ある神供がそのまま祭りの名ともなる。甘酒祭,鮨祭,芋煮の神事,あるいは鯰祭,鱧切(はもきり)祭といったものもある。祭りの供物は,神と人とがともに食欲を満たすべきものであるから,火や味を加えた熟饌が通常のものとなる。トリバミ神事とかオトグイ(御鳥喰)祭といわれるものは,神の使わしめとしての鳥がついばみ持ち去ることを願った祭りで,いわば神の嘉納を確かめる方法が特徴となっている。祭りそのものをナオライと呼ぶ地方もあるように,神人共食の行為,共食する供物は,最も大事なものといえる。
〔参考文献〕柳田国男『日本の祭』定本柳田國男集10,筑摩書房
にひなめ研究会編『新嘗の研究』1978,学生社