●内藤湖南 ないとうこなん
アジア 日本 AD1866 江戸時代
1866〜1934(慶応2〜昭和9)明治〜昭和初期の東洋史学者,文学博士。本名は虎次郎,湖南は号。1866年(慶応2)7月18日,羽後鹿角郡毛馬内に生まれ,秋田県師範学校卒業後,小学校訓導をへて,1887年(明治20)上京する。国学,英語を学び「三河新聞」雑誌「日本人」「亜細亜」「大阪朝日新聞」「台湾日報」の記者として活躍した。1898年,「萬朝報」主筆,1900年,「大阪朝日新聞」論説担当を歴任,この間南北支那や満州,朝鮮各地を視察し,日露戦争では開戦論を主張した。その後外務省嘱託をへて,1907年,京都大学東洋史講座開設に伴い迎えられ,1909年,教授となり1926年(昭和1)まで中国近世史を講じた。満蒙,朝鮮を視野に入れ,文学・絵画史も含めた幅広い中国史を展開し,独自の時代区分や多くの史論を示すなど,内藤史学と称されている。1934年6月26日,69歳で亡くなり,京都東山法然寺に葬られた。著書は『支那論』(1914),『清朝史通論』(1944)など多数ある。