●ナイジェリア
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正式国名は,ナイジェリア連邦共和国首都アブジャ,面積92.3万平方km,人口8,100万人(1978),東はカメルーン,西はベナン,北はニジェール,北東はチャドに接し,南はギニア湾に面する。南部は熱帯雨林で北に向かうほどサバンナが広がる。多くの部族が居住する。共通語は英語。広域語としてハウサ語,ヨルバ語がある。前6世紀ころから前3世紀ころにかけて,ニジェール川とヌベエ川の合流点以北に東西500km,南北350kmの範囲にかけて,テラコッタ製肖像を特色とするノク文化圏があった。テラコッタ製肖像は,宗教的な意味をもってつくられたものとされているが,その芸術的価値は高く評価されている。このノク文化の影響とも考えられるイフェ文化(13〜14世紀),ベニン文化(15〜17世紀)がおこった。とくに高度に様式化された精巧な青銅や真鍮の人像は,高い芸術性をもち,ロダンやピカソなどの芸術作品に大きな影響を与えた。 20世紀以前のナイジェリアには大統一国家は形成されず,諸王国が併存して繁栄していた。
北部ではチャド湖付近にカネム,ボルヌ王国が9〜20世紀まで存続した。イスラーム教が国教となり,イスラーム文化も発展し,何人かの王もメッカに巡礼した。チャド湖西方のハウサランドには,七つのハウサ王国が13〜19世紀初めまで栄えていた。なかでもカノ,ザリアの王国がサハラ交易で賑い,イスラーム文化も発展していた。ハウサランドでは母系原理も存在し,女性の地位は高かった。19世紀初め,ハウサランドの西端のソコトにウスマンが出て,イスラーム改革を旗印にジハードを展開し,北部ナイジェリアにソコト大守国を創始した(フラニ聖戦)。ソコト大守国のもとでイスラームの学問が発達し,また優れた文学作品もできた。
南部では,ニジェール=デルタ地帯に,部族小都市国家が興亡した。ニジェール=デルタの北西部のベニン王国は,14〜15世紀ころ全盛であったが,ヨーロッパ人の来航によって19世紀中ころまで浮き沈みが激しかった。ベニンの西方のヨルバランドには,オヨ王国があり貿易によって繁栄したが,18世紀後半から内乱がおこり衰退した。乱を逃れたヨルバ人は19世紀前半イバダン王国を建てた。
北部諸国は古くから,金,象牙,コーラの実,毛皮などの輸出,馬,塩,銅などの輸入に携さわっていた。そのためサハラを越えて北アフリカの文化が早くのころから伝えられていた。南部諸国はサハラ交易圏の末端であったため,外界の文化の影響が少なく独自の文化を創造した。15世紀末ヨーロッパ人が来て,その文化水準の高さに驚嘆した。しかし南部はその後,ヨーロッパに輸出する商品に困り奴隷を輸出することになった。ヨーロッパ人も新大陸でのプランテーション労働力として奴隷を欲したので奴隷貿易は急速に発展し,それによって南部の諸王国も盛衰を重ねた。
1807年,イギリスは奴隷貿易禁止を決め,1830年代ころから西アフリカでの奴隷貿易廃止に積極的になった。そして奴隷貿易を続ける港湾都市を攻略し占領した。ラゴス占領は1861年で,ベルリン会議(1884〜1885)以降は沿岸部だけでなく,その後背地に勢力を伸ばし,1903年までに北部を制圧した。イギリスは初め,ナイジェリアをラゴス直轄地と南部・北部保護領として区分していたが,1914年,ルガード総督は,ラゴスに特別の地位を与えつつ全域を統合した。しかし,南部と北部の経済格差(南部のゴム,ヤシ油は高く売れ,北部の綿,落花生の値は変化ない),部族主義などの問題は放置された。
イギリスのナイジェリア支配は間接統治の方法をとった。ナイジェリア総督は,各地域の首長代表を含めて構成される立法審議会を年1回ラゴスで開いて,間接支配に役立てた。第一次世界大戦が開始されると,ナイジェリアの人々も連合国側につきドイツ軍と戦った。ナイジェリアはドイツ領トーゴ,カメルーンと接していたため,大量の軍隊が徴発され,大戦末には東アフリカ戦線にも派遣された。この大戦中,イボ族,イセイン族,エグバ族などが反乱をおこしたが鎮圧された。大戦後ドイツ領カメルーンはイギリスとフランスで分割された。
1922年,アフリカ人選出議員4人を含む立法審議会(46名)が設置されたのを機に,ナイジェリア国民民主党(NNDP)が結成された。1930年ころになると,ロンドンに留学したエリートが帰国して諸種の政治団体を組織していったが,民族運動は第二次世界大戦によって中断した。大戦後,ナイジェリア-カメルーン国民会議(NCNC)が南部を組織体としてできた。一方イギリスも,アフリカ人の議席数を増した憲法を公布したが,NCNC は反発し憲法改正を要求し,1956年には完全自治を要求した。翌年,東部,西部,北部からなる連邦制を採用した憲法がラゴスで採択され,1958年の総選挙で,北部人民会議 NPC が大勝し,NCNC と連合政権を樹立し,1960年10月,イギリスの同意を得て独立した。
ナイジェリアは独立後も地域格差や部族対立が残り,政情は不安定で1966年には部族対立によるクーデターが2回おこった。翌年東部州に石油が発見されたことから,東部州はビアフラ共和国として分離独立を宣言し,これを認めぬ連邦政府とのあいだにビアフラ戦争をおこした。1970年,連邦軍は勝利したが,軍部支配は1979年まで継続された。1979年,新憲法の下でナイジェリア国民党 NPN のシャガリが大統領に当選し,第二共和制を発足させ,経済開発と地域格差是正に努力している。
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