●内閣大学士 ないかくだいがくし
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中国,明・清代の官職。明の太祖は中書省を廃し,宰相制をなくし,皇帝が直接政務をみることにしたが,そのため皇帝の輔弼・顧問機関として“殿閣大学士”を置いた。次の成祖代には宮城内の“文淵閣”に翰林院の官員が当直し機務に参与することになるが,この政務機関を“内閣”と称した。仁宗代に内閣の大臣に殿閣大学士の官を加えて以来“内閣大学士”と呼ぶことになった。最初その地位は低かった。しかし皇帝の側近として票擬(皇帝に代わって臣下からの上奏文に対する皇帝の決裁をあらかじめ用意すること)をつかさどることによって内閣はしだいに明の中心的政務機関となった。嘉靖年間(1522〜66)以来,内閣大学士のなかの第1人者は“首輔”と呼ばれ,実質的な宰相格であった。内閣は明の政治制度のなかで最も特徴的なもので,明の政治権力のあり方を知るのにきわめて重要である。清も明制にならって内閣を置いたが,1729年(雍正7),“軍機処”が設けられてからは有名無実になった。