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●曇徴 どんちょう

アジア アジア AD 

 生没年不詳。7世紀初頭に朝鮮高句麗より渡来した僧。儒教の聖典である五経に通じ,儒教とともに彩色(絵具)や紙・墨の製作技術や方法を日本にもたらしたという記録が『日本書紀』に残されている。推古天皇の時代610年(推古18)に来朝し,飛鳥文化の仏教美術の発達に大きく貢献したとされる。594年に聖徳太子の三宝興隆の詔勅が出されて以来,仏教は国の保護をうけるようになった。この仏教は中国の仏教をそのまま取り入れたもので,これに従って宮廷や貴族の生活も中国にならった。このため絵画や工芸の需要が増え,曇徴以外にも多くの大陸の画人や技芸家が来朝して,技術指導にあたっていたといわれる。曇徴はまた水力を利用した“碾磑(みずうす)”を製作したと記されており,近年明日香村内における発掘調査により“水遊び”(遊びは儀式的性格をもつ)に関連する史跡が発見され,飛鳥古京の技術の発達に重要な役割を果たしたと考えられる。